キミは聞こえる
「……手塚(てづか)先生、どうして」

 泉が中学三年のときに担任だった数学の先生である。

 ほどよくクセのついた黒髪は男性にしてはやや長めだが、うっとうしさを感じさせないようほどよくまとめられ、

 トレードマークの眼鏡は、以前まで銀縁だったものが今はフレームのないすっきりとしたものに変わっていた。

 ボタンダウンのシャツの襟のボタン穴に通されたチェーンのさりげない輝きは相変わらずである。

 安田に負けず劣らず長身――噂では八頭身あるという手塚は、前屈みに泉の顔をのぞき込み、朗らかな笑みを口許に浮かべた。

 眼鏡の奥、切れ長の目が細くなる。
 このうっとりするような表情に夢中になる生徒は少なくなかった。

「もちろん授業見学さ。本当なら高等部の先生が来るべきところだが、代谷の様子も気になったからな、元担任の俺が選ばれたんだ」

 チャイムが鳴って授業が始まると、手塚はおもむろに泉から顔を離し、この学校へはるばるやってきた理由、本来の仕事に戻った。

 泉も姿勢を正して授業に耳を傾ける。

 すぐそこに栄美の教師がいるというだけで、おのずと背筋はしゃんとした。それは手塚だろうと他の教師だろうと変わらなかった。

 栄美で教鞭を取る教師は、校長自らが選抜した選りすぐりの逸材ばかり。

 故に、滅多に異動がない。

 退陣する教師といえば何かしらの問題を起こしたか、栄美の教育方針に合っていないと見なされ追い出された者に限られていた。

 だから生徒らに涙ぐまれることも惜しまれることもまずなく、むしろ侮蔑的な白い眼差しで見送られることがほとんどだった。

 肩越しに、桐野が手塚を見ていた。
 その視線が泉に下ろされ、誰? と尋ねてくる。

 中学のときの担任、と泉は口パクで教える。

 途端、桐野は目を剥いて、この世のものとは思えぬほどの手塚の顔をしげしげと見つめた。
 どうしてこんな田舎に? という不審と、なんちゅーイケメン……、という驚愕とが入り交じった目をしている。


 確かにそうだ。

 何故、こんな田舎に?

 それも、学業面においては、全国に名が上がるようなことなどありはしないだろう高校に。


 栄美の卒業生として、母校の面汚しにならないような、いかにも生徒の鑑(かがみ)然としているか確認しに来たとでも言うのか。

 確かに、名門栄美学園の出でありながら、高校に上がった途端とんでもない成績を連発していたらみっともないことこの上ないけれど………。


 泉は眉を下げて、学級委員の起立の声に立ち上がる。

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