キミは聞こえる
 いったい何の目的で手塚はこんな片田舎までわざわざやってきたのだろう。

 ただの授業見学であろうはずはない。

 栄美は、いつだって見学される立場にこそあれど、他を参考対象と見なしたことはないからだ。

 周りの教師とは明らかに違う、否が応にも生徒の感覚を鋭くさせるこの張り詰めた空気。
 栄美にいた頃の感覚を頭が、身体が、たちまち鮮やかに思い出す。

 横目に見る隣の席の男子が、着席と同時に微動だにしなくなった。異様な空気に冒されてしまったのだろう。

 常に鞭を構えられているようなこの気の抜け無さに、神経が、脳が、徐々に侵食されていく。

 目に見えぬ恐怖が授業中、常に生徒たちを支配して、嫌でも集中力を高めざるを得ない。

 すべての授業に全身全霊をかけなければその先に待っているのは編入の進め。
 栄美とは、そういうところだ。

 栄美の空気に溶け込めず、負けてしまった者が二度、栄美の土を踏むことはない―――。


 久しぶりの感覚であること、また大分とこちらの生活に馴染んでしまった泉に、手塚の存在はこんなにも重く、圧を持って迫ってくる。

 あの頃は、いくら相手が手塚とはいえここまで緊張することはなかった。

 いつもののんびりスズナンペースで進む授業を泉は普段の三割――否、その倍ぐらい増しで聞いていた。

 そのまま授業が半分ほど過ぎた頃。

 生徒たちに背を向けて説明をする教師の目を盗んで、手塚が七センチ四方くらいのメモ用紙をそっと泉の前に置いた。

 制限時間五分、とそこには書かれていた。

 泉はすぐさまその意図を読み取り、はっと息を詰めた。

 ノートを新しいページに替え、シャーペンを握り直す。
 手塚のらしいボールペンの先が泉の視界に入り込む。

 そのペン先が軽く持ち上げられると、寸刻開けて、再度下ろされる。
 机に触れた、それが合図だと泉はわかった。

 試験同様、すばやく紙をめくって、予想通りそこに記された手書きの問題と泉は対峙する。

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