キミは聞こえる
「代谷があそこまで剥き出しに感情を見せつけるからにはそれなりの理由があるのだろう。おまえは一度として教師に反抗的なところを見せたことはなかったからな」

 それはそうだ。

 栄美の教師は誰一人として泉に「学校は楽しいか」とも、物足りなさを感じているのではないか、とも尋ねないし、ましてや「素直に喜べ」などと命じたりしない。

 余計な感情を引き起こすようなことは、何一つ言われなかったから。

「私は、あまりこの学校の先生方にこころよく思われていないようなので」

 ついそうこぼしてしまってから、要らぬことを、と俯いた。

 二人の間に沈黙が落ちる。グラウンドに弾ける声や足音がひどく遠くに聞こえた。

 初夏らしい、湿り気を帯びた生ぬるい風が頬をかすめていく。

 手塚は何も言わず、踵を返した。

 向けられた背中の大きさが懐かしい。

 中学二年、中間テストの順位発表の後、五十貝の強い感情に一時的に心を冒され気分を悪くした泉を背負り保健室まで連れて行ってくれたのが、この手塚であった。

 三年に上がり担任となり、数学の授業担当に決まって頻繁に見るようになったいつもピンとしたこの背中。

 手を伸ばせば、届く距離。

 そのシャツを掴んで、一緒に東京に――栄美に帰ってしまいたい。連れて行ってくれとすがりつけば、手塚はきっと私の手を掴んで引っぱっていってくれる。

 手塚は、自分を受け入れてくれる人。
 安田は、自分を不必要だと背を向ける人。

 よく磨き上げられた漆黒の革靴が乾いた音を立てて校舎から手塚を連れ去っていく。

 離れていく背中に、泉の胸がたちまち騒ぎ出す。


「せ、先生っ――」


 上履きのまま、泉は職員玄関から外へと飛び出した。

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