フラミンゴの壁
「ありえないこと」それを奴らはきっかけと呼んだんだ!
論理的ではない非論理的なものが偶然にも歯車が噛み合う偶然が現実となっている。
そして偶然が継続し必然性を高めている。
それが俺の現実、それが「きっかけ」ってやつか?

俺はためしに「きっかけ」の発動スイッチなるものを考えてみた。

たとえば、郵便配達の男は俺が触ることが「きっかけ」だった。
モアレの男がやってみせたのは、俺が3歩だけ歩き転倒する瞬間がなんらかの「きっかけ」への手続きだったはずだ。
いや違う。それは一部だ。
このときの「きっかけ」はコオロギだ。
俺にコオロギを踏ませるための手続きだ。
あの「きっかけ」はコオロギにある。

コオロギによりモアレのなかに現れたんだ。とするとたしかにあの男がいうとおり、現れた場所が偶然にもモアレのなかだったのかもしれない。

それじゃ、奴の実態を出現させる「きっかけ」がまた別のカタチでありえるってことか?
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