最後の時
ほんの少しの強がり




あぁ、と頭を掻く。

「脳みそが逝っちまいそうだ」

ヨレヨレのワイシャツの胸ポケットに無造作に入れられたネクタイ。会社に泊まり込んでもう3日だ。会社のシャワーを借りてるものの衣服からは異臭が放たれている。これじゃあ、社員に鼻摘まれるよななんて嘲笑いながらも二日後に迫っているプロジェクトの資料を作成していた。
本当ならば一週間前には終わってるはずなのだが急遽作り直しを命じられたのだ。たかが平社員。上司からの命令を断る事など到底出来ず、1ヵ月かかって作った資料を手が空く社員で手分けをしたったの5日で仕上げるはめとなった。他は今仮眠中。寝てる暇などないがこれ以上あいつらに無理などさせられん。

椅子に深く座りグッと背骨を伸ばす。コーヒーを飲もうと掴むと空な事に気がついた。

作らないと多分無いな、と立ち上がると後ろにうっすらと浮かぶ女性。一瞬固まるが、その艶やかで綺麗な黒髪と口許の黒子を見てカレンダーに視線を運ぶ。





「あー…、命日忘れてた…、本当…すまん」

立っていたのは妻の千沙だった。体質なのかこういうのが俺には見えるらしい。それを見計らってか千沙は命日の日だけ俺の前に現れる。

仕事ですっかり忘れていた。

にこりと微笑む彼女は少しだけ怒っているよう。本当悪い、とバツを悪そうに頭を掻くと違う、と彼女は首を振る。

唇をゆっくりと動かす。声は聞こえないが言いたいことはわかった。

“無理しないで”

「もう少しなんだよ。あともうちょっと」

首を横に振る千沙。
休めと言ってるのだろう。穏やかな性格のくせに変に頑固なのだ。休まなきゃこのまま居着いてしまいそうな勢い。そんなこと絶対に駄目だ。いま命日の日だけとは言えこちらにいること自体駄目なのに心配なんてさせたら戻れなくなる。

「わかったわかった」

満足気に頷くと優しげな笑みを見せた。

「その代わり、もう命日に逢いに来なくて良いぞ。料理も掃除も洗濯もおまえがいなくなってからいくらかはできるようになった。もう、心配は要らない」

ちょっとだけ寂しそうにするとスッと消えてしまった。途端にぽっかりと胸に穴が開いたような感覚。

「あぁ、…本当に逝っちまったよ…千沙……ッ…」





END
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