さよなら、もう一人のわたし (修正前)
「そんなふうには見えませんね」

「そうかな」

 彼はそう言うと、自分のコーヒーに口をつける。

 彼と一緒にいると忙しかった時間の流れがふと止ったような、そんな印象を受ける。

 今までそんなことを誰かと一緒にいて感じることなどなかった。

 変なの。

 あたしは頬杖をつくと、窓の外を見た。

 ここは人通りが多い道ではない。たまに小さな子を連れた親子連れが歩く程度だった。

「君は女優になりたいの?」

 君という言葉を聞くと、あたしの心がずきんと痛んだ。

 それは身勝手な理由に過ぎないことも分かっていた。

「あの、できればですけど」

「何?」

「できれば、できるだけでいいですから君って呼ばないでほしいなって。名前で呼んでくださってもかまいませんから」

 尚志さんがあたしのことを「君」と呼んでいたからだ。
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