道中地蔵
お地蔵さんと言い伝え
小さな田舎町で育った私には、物心ついた時からクセになっていることがあった。
町の老人達は私にこう教えた。
―お地蔵さんを見たら、手を合わせるんだよ。きっと良いことがあるから―と。
そう言われ、幼かった私はお地蔵さんを見ると手を合わせるようになった。
何か食べ物を持っていたら、供えた。
だからといって、特に目立った『良いこと』は無かった。
平凡ながらも普通の日々を過ごした。でもまあ普通も一つの幸せだ。
不幸よりはマシだろう。
そんな考えながらも、お地蔵さんに手を合わせることはやめなかった。
身に付いた習性とは恐ろしい。自覚の無いところでしてしまうんだから。
そして十年の歳月が流れた。
私は未だに手を合わせ続けている。
現在高校2年生。高校入学を機に、街中に家族ごと引っ越してきた。
そこは高い建物が森の木のように並び、月の光をかき消すほど人口の光が輝きを放つ。
お地蔵さんの姿は探さないければ見つけられない。
あれほど私にとって日常的なクセも、いつの間にか『たまにやること』の一つになってしまった。
けれどそのことを特にさみしく思わないまま、夏の合宿に参加した。
町の老人達は私にこう教えた。
―お地蔵さんを見たら、手を合わせるんだよ。きっと良いことがあるから―と。
そう言われ、幼かった私はお地蔵さんを見ると手を合わせるようになった。
何か食べ物を持っていたら、供えた。
だからといって、特に目立った『良いこと』は無かった。
平凡ながらも普通の日々を過ごした。でもまあ普通も一つの幸せだ。
不幸よりはマシだろう。
そんな考えながらも、お地蔵さんに手を合わせることはやめなかった。
身に付いた習性とは恐ろしい。自覚の無いところでしてしまうんだから。
そして十年の歳月が流れた。
私は未だに手を合わせ続けている。
現在高校2年生。高校入学を機に、街中に家族ごと引っ越してきた。
そこは高い建物が森の木のように並び、月の光をかき消すほど人口の光が輝きを放つ。
お地蔵さんの姿は探さないければ見つけられない。
あれほど私にとって日常的なクセも、いつの間にか『たまにやること』の一つになってしまった。
けれどそのことを特にさみしく思わないまま、夏の合宿に参加した。