ことばにできない
目の前に現れたその子は、不幸を踏みつけるかのように、しっかりと歩いていた。
そして、目の前に現れた私をまっすぐに見つめて、私の名を呼び、はっきりと言った。


    「おはよう」


それから毎朝、私は同じ時間に家を出た。
その子も毎朝、同じ調子で私に声を掛けた。
私は絶対に応えなかった。

─ 落ち込め、落ち込め!

決して挨拶を返さない私のことを、いつかその子はあきらめ、そしてある朝、暗い顔で足取り重く現れ、私の前を素通りすることを、私は期待していた。

その子は変わらなかった。

来る日も来る日も、その子は私を見て、はっきりと言う。

   「アイハラ、おはよう」

そしてついにある日、気づいたら私も言っていた。

   「おはよう、イケハタ」




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