Thank you for...
「してない……」

短く、呟くように答えた私の言葉は澄んだ冷たい空気に乗って翔の耳に届く。

「冗談にしたらキツかったか」

視線を外したまま、鼻で笑うようにそう言った。

それから、二人黙ったまま時間だけが過ぎていった。

空が薄い灰色から色を濃くし、私たちの周りには小さな街灯が申し訳なさそうに灯っていた。

「俺さぁ…子供、いたんだよね」

突然、翔が口を開く。

隣に座った私は、何も言わず眼下に見える空港の明かりを見つめていた。

たぶん、翔はまた空を見上げているのだろう。

その後も、翔の声は空から降ってくるように私に届く。


子供って言っても生まれてないんだけどさ。

予備校行く前に、働いてた時に出来たんだけどぉ

俺って大学に行きたかったわけ。

だから育てられないじゃん?

彼女も納得して堕ろしたんだよね…。

で、その時にママを幸せにするって誓っちゃったんだよね…。


翔は泣いているようだった。

途切れ途切れに、まるで独り言のように言葉を紡ぐ。

私も泣いていた。

知っていたとはいえ、実際に翔本人の口から聞くと辛かった。

空想でもなんでもなく、事実だったんだと。

幸せにする相手がいるという事を。

悲しい、というよりは、感情を持たない涙だったと思う。

ただ漠然と、体の中から溢れ出したもの。

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