熊野誓紙
年明け間もない頃、 父の呼び出しがあった、 私の荷物を整理してほしいと。
暮れの沖縄旅行中も 老人ホームへの入所を画策もしくは希望していたことを 打ち明けていたので、家を手放すかもしれない 選択肢の足かせである”私などの雑多な荷物”を 整理したいということなのだ。  父の焦燥はわかる。 選択肢を阻害する分子は処理しなければ 立ち行かない、、、、   実は この時点の前から、 父の精神的障害を懸念し始めている。

だいたいが 異常なのだ。
母が3/9に呼吸止めた直後から、父は家のリフォームを始めた。母の閉鎖性の象徴である家の垣根の高さを減じ、 床をユニバーサルデザイン化した。 段差をなくし、トイレも洗浄付にした。 弟と私は、母の居場所を消し去っていくようにしか見えなかった。 それなのに、母に意識なくても生きていてほしいと 言うのだから、矛盾している。 
もし、矛盾じゃないとすれば 
母がいないと 寂しいから
存在だけあってほしいという
父の身勝手。 

母が息をひきとる瞬間、、、号泣した父の横で、 私は 一粒も涙を流していない。
私の母への想いは 3/9で 終結している。
なにしろ お気に入りの椅子で 意識を失したのだ。
これほどの 往生は ないであろう。
あの時点で、母の人生は 成功したのだ。

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