短編集『固茹玉子』
 その日は奇しくも日曜日。

 少し戻れば工場の軒先には辿り着けるが、普段付き合いの有る周りの人達も当然出勤してはいないので、傘を貸して貰える当ては無い。

 そこはすぐ裏手に広がった新興住宅地に住む地域住民との協定で、朝は8時以前、夜は7時以降、そして休日の物音は一切厳禁とされていた。

 住民との無用なトラブルを避ける為に、各々の工場が弁えている暗黙の了解に依って、休みの日には音の出ない事務作業でさえも行わない事が通例となっており、当然休日出勤もあり得ない。

 恐らく俺と同じ原因でここに来ている。なんて起こりもしないシンクロニシティが無い限り、この叩きつける雨粒に抗うだけの勇気をくれる文明の利器、いにしえのジェントルマンにとって必須アイテムでもあったあの雨傘にはきっと、あり付けないに違いない。

 それに小さい工場群とは言っても、それの擁する軒や屋根の端は、今俺を雨粒の直接攻撃から守ってくれているそれに比べて遥かに高い位置に有る。

直接雨が身体に打ちつける事はなかったとしても、強風に煽られて舞い踊るミストが俺を今以上にずぶ濡れにする事は火を見るよりも明らかだった。


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