グッバイ・マザー
日記
 幾分色褪せ始めた大学ノートの表紙を捲ると、伯母のきれいな字が几帳面な間隔で並んでいた。
 去年の日付のものだった。

 三月五日 晴れ

 今日もあの女の夢を見た。最近よく見る。
 昨日泰生さんから電話があったからだろうか。あの人の痴呆は、もう大分進んでいるらしい。
 “泰生さん”?
 聞いたことの無い名前だった。父方の親戚にそのような名前の人は居ない。きっと母方の親戚だろう。

 日記にはこう、綴られている。
 
 あの人は結局過去の過ちを清算することなく、老い朽ちて往くのだろう。姉や私に謝罪することは、この先ずっとないのだろう。
 私達姉妹の傷は、永久に癒えることは無いのだ。

 具体的に何をされたかは書いていない。あるのは、姉を思い遣る気持ちや、漠然とした“あの人”への憎しみだけだ。恐らく、過去を深く振り返るのが怖いのだろう。
 文面から察するに“あの人”は母の母親。僕にとっての祖母にあたる人だと窺える。実の母親を“あの人”と呼んでいることから、激しい嫌悪感を抱いているのが分かる。
 母親が子供にする仕打―――即ち虐待や折檻だ。
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