伸ばした手の先 指の先
12歳、6月
初めて声をかけられた日
あたしは、焦っていた。
ものすごーく、焦っていた。
まだ何にも弾けてないから。
渡辺琴音、12歳。中学1年。
吹奏楽部所属、担当楽器はコントラバス。
あと1ヶ月半もすれば、運動部で言う「デビュー戦」、夏祭りの演奏があるというのに、あたしは5曲のうち1曲も完成していなかった。
だから、周りのみんなが鬼ごっこしてるホールで、KYかもしれないけど一人で練習してる。
「君、偉いね。遊べばいいのに」
「いいえ。まだ全く弾けないので。すみません」
そもそも今は部活のパート練習中。本来なら練習するべき時間のはず。
でも、バスパートでは遊ぶ時間みたいだ。
これが最初の、彼との会話。
とっても気軽で、ロマンチックのカケラもない、ごくごく普通の会話。
このときはまだ、思ってなかった。
まさか、あんなことになるなんて。
よく使われる聞き慣れたコトバだけど、本当にそのとおり。
大辻柚季先輩は1つ上の2年生。
長身痩躯で目元の涼しい優男ふうな人。
担当楽器は、ユーフォニウム。