endorphin
 彼女も俺と同じように、なにか忘れ物でもしたのだろうか。俺は手の中の鍵を握り直した。
「じゃあ一緒に入る?」
「え?」
「俺、ケータイ忘れちゃって。いま鍵借りてきたとこ」
 そう言って目の前に音楽室の鍵をかざして見せる。揺れる鍵の向こうで、彼女の顔がパッと華やいだ。
「いいの!?」
 うん、と頷くより早く、彼女はその場にとび跳ねて喜んだ。子供のような仕草が落ち着いたイメージの彼女にはそぐわなくて、思わずこちらまで笑みがこぼれてしまう。
 それほど重要な用事が音楽室のなかには転がっているのか。
 持っていた鍵で扉を開ける。いまかいまかと手元を高揚した面持ちで見つめられ、鍵穴に鍵を差し込むだけの動作に妙な緊張を覚えた。
 滑りの悪い扉を強めに引く。 ひとのいない音楽室はしっとりと窓を濡らし沈黙していた。
「わーっ、久しぶり!」
 まるで旧友に再会したかのような声をあげ、斜め後ろに立っていた彼女は室内に駆け出した。整列する机の間を縫って進み、たどり着いたのは音楽室の中心にたたずむピアノだった。
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