endorphin
 微妙にはぐらかされていることは明らかだった。けれども俺はそれ以上追求する気にはならなかった。自分が思っているほど俺と笹原桂の距離は縮まっていなかったのだと、昨日痛感したばかりなのだから。
 ふうん、と適当に相槌を打つ。多分カフェのウエイトレスかなにかだろう。無理に聞き出す必要などない、そのうち話してくれたらそれでいい。
 桂が働くカフェならそれはそれは男性客が多いことだろう。ぼんやりととりとめのないことを考えていると、後ろから肩を叩かれた。
「ほら、席につけー。ホームルーム始めるぞ」
 担任の教師につつかれて慌ててその場を離れる。じゃあまた、と囁いて桂も自分の席へと戻って行った。
 前に座る河本と隣の席の菅に挨拶をして、今日もまたくだらない会話を交わしながら一日が始まっていく。ちらりと盗み見た後ろ姿は、俺が見慣れたものに違いない。
 忘れよう。担任の話を耳の奥に流しながら思った。昨日のことはなんでもなかった、桂のちょっとした悪ふざけだった、動揺する必要など始めからなかった。
 桂のピアノを聴いて、桂の話に相槌を打って、これまでと同じような距離感で俺たちは通い合っていく。
 変わらない日常。変わらない温度。ゆっくりと吐いた溜め息はこの平凡さを愛するがためのものだと信じて疑わない。
 事態が音をたてて変わりだしたのは、季節が冬に移ってからであった。

 
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