馬鹿が飛んだ日

結局、俺はあの日隣の家のトイレを借りた。隣のおばさんには、葬式でトイレがうまってるとか、適当なことを言ったと思う。おばさんは、父を亡くした俺が不憫だったのか、トイレから出るとお菓子をいっぱいくれた。いっぱい過ぎて、とても一人じゃ食べ切れないほどだった。

今思えば、あれは兄ちゃんの分もあったのかもしれない。
 そういえば兄ちゃんは、新しい父さんがうちにやってきたときも、泣いていた。夜、「父さん…」と呟きながら。今度はお風呂場だった。夜中、ぼんやりトイレに起きたとき、お風呂場から聞こえてきた兄ちゃんの声。俺はその時、兄ちゃんは優しい人間なんだなと思った。確か、亜紀が生まれた時も兄ちゃんは泣いていた。俺達に妹ができたんだぞ!と、今度は俺たちの前で堂々と泣いた。

 そんな、本当は優しくて弱い兄ちゃんだから、稲葉のことは言えなかった。言えば、兄ちゃんまで空を飛ぼうなんて考えてしまう気がした。

俺は、ブランコに座ってたそがれている兄ちゃんに、声をかけた。

「兄ちゃん」

 予想外にも、兄ちゃんは俺の声にすぐ反応した。俺がすぐ近くにいることに驚きもしなかった。

「隼人か」

兄ちゃんは目を細めて言う。なんだか、元気がない。俺は兄ちゃんの隣のブランコに腰をかけた。

「何してんの?」
「……別に。ただ家に帰ると亜紀がうるさいからよ」
「ふーん」

兄ちゃんがそう言うのなら、そうなんだろう。俺はキィー、と少しだけブランコをこいだ。小さい頃はよく、このブランコに乗ったな。

「なぁ」
「ん?」
「…お前、イカロスの翼って知ってるか?」


兄ちゃんは最近、話を切り出すのが突然な気がする。


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