だから君に歌を
「もちろん、俺は君みたいに特別な意味で姉ちゃんを好きなわけじゃないし、キスしたのだってほとんど八つ当たりっていうか嫌がらせみたいなもんだったけどね」

「…そんな話、信じると思ってんの?いい加減にしてよ」

千夏は馬鹿馬鹿しくなって立ち上がる。

「でもさ、そんな頭のおかしいことをした俺を、姉ちゃんは拒絶したり、嫌ったりしなかったよ」

慎太郎の声を背中に千夏は走り出した。

こんな所、いたくない。

もう帰ろうと、
千夏は部屋に戻り、
帰るために浴衣を脱いで昨晩脱いだ服をかけた押し入れの扉を開いた。

「あ、れ」

押し入れの中にはトレンチコートだけがかかっていて、
あるはずの千夏の洋服がなくなっていた。

「あ、ごめんなさい。洋服、洗濯した方がいいかと思って」

背後からの声に下着姿の千夏は振り返った。

なにやら紙袋を抱えた亜紀が無断で部屋に入って来ていた。

「えっと、これ」

亜紀が言い終わらないうちに千夏は亜紀から紙袋を奪い取り、
中から洋服を取り出した。

洋服を目の前に掲げて見つめる千夏に亜紀は不安げに千夏を覗き込んだ。

「私の服、サイズ違うかもしれないけど、」

亜紀は的外れなことを口にする。

千夏が問題としているのはそんなことではない。
洋服のデザインだ。

オフホワイトのニットワンピース。

千夏ならば絶対に買わない種類のものだし、
第一千夏には似合わない。

もっと別のものはなかったのか、
はたまたわざとなのか、

しかし、
下着姿では帰れないので、仕方なしに千夏は袖を通した。

上からトレンチコートを羽織り、
バッグを手に取る。
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