だから君に歌を
「なんでだよ?」

京平は千夏の言葉に不思議そうな顔をする。

「あんな店、絶対儲からないし、生活苦しくなるだけだし、京平がわざわざそんな暮らし選ぶ必要ないっ」

そこまでしてあの店に執着する必要はないのだ。

「でも、あの店は親父達の宝だろ?千夏も好きだったろ?」

「誰がっ、冗談やめてよ」

「でも、」

京平が身を乗り出して何かを言いかけた時、
「ごめーん」と言って香織が戻って来た。

京平は前を向き直す。
千夏も顔を背けた。

「レシピ取りに行ったら昨日作ったクッキーが余ってたの思い出して、京平だけならあれだけど、千夏ちゃんは食べるかと思って。はいっ」

香織はレシピと共に、紙袋を京平に渡した。

「おー。千夏、よかったな!」

「今飲み物用意するわね。京平はコーヒーよね、千夏ちゃんは何がいい?」

千夏は京平の言葉にも、香織の問い掛けにも何も答えず、腕を組んでだんまりを決め込んだ。

「えっと、千夏ちゃん?」

香織が戸惑ったように笑顔を引き攣らせた。

「あ、あー。こいつは、ジュースで!グレープフルーツジュースあったっけ?」

「あ、うん。あるけど」

「じゃあそれでっ」

さすがの京平も千夏が香織のことを無視しているのだと気がついたのか、
慌てたように千夏の代わりに答えた。

千夏は不機嫌さを隠さず顔に出した。

京平と香織の親しそうな会話なんて聞きたくもない。

間もなくして千夏の前にグラスとストローが置かれたが、
千夏はそれに手を伸ばすことなく見つめていた。

それからも何度か京平との会話の間に香織が千夏にも声をかけてきたが、
一向に千夏が答えないので最後には香織も、千夏抜きで会話を進めていた。

そして千夏は最後までグレープフルーツジュースを口にする事なく店を出た。
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