だから君に歌を
もう、すぐ目の前にまで来ている。

歌う場所を自由に手に入れ、皆の前で、
大勢の前で歌える。

汚い道端でギターを抱えて歌う必要なんかない。

報われない恋に苦しんで、狭い島で腐ったような生活をする必要もない。

「さつき!」

不意打ちのように発せられた名前に千夏はドキッとさせられた。

「さつき!危ないでしょう!ちゃんと座りなさい!」

千夏の真正面の席に座る母親らしき女性が、
落ち着きなくシートの上に立ち上がって窓の外を眺める女の子を叱りつけていた。

さつき。

皐月…。

千夏が東京へ出て二年目の年、
一つの事件が世間を騒がせた。
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