俺が大人になった冬
「手術が終わってはじめて、お腹にいたのは一つの大切な『命』だったって……小さな命を自分の意志で殺してしまったということに気付いた。そうしたら自分がしたことの重さに堪えられなくなって……

死ぬことも本気で考えたわ。

でもね、赤ちゃんの供養に行ったお寺のご住職さんに、『親であるあなたが、自分の存在を忘れてしまうのが、赤ちゃんにとって一番悲しいこと』だって。『赤ちゃんのことを想って、きちんとご供養して行けば赤ちゃんは必ず救われるのだから、万が一にも死のうなんて考えずに、赤ちゃんのことを想い続けてあげて欲しい』って、気持ちを見透かされるように言われて。死んでは駄目だって……生きて赤ちゃんに償っていかなくてはダメなんだって思ったの」

金持ちで、美人で……なんの悩みもない奥様だと思っていた。

はじめて会ったときに感じた、彼女の淋しげな瞳。彼女の『影』。彼女はこのことで、ずっと苦しんでいたんだ……

「元くんと表参道ではじめて待ち合わせした日は、ちょうど赤ちゃんの命日だったの。元くんと話をしながら『もし生んでいたら、同じぐらいになっているのかな』って思ってしまって。……もしかしたら、赤ちゃんが会いに来てくれたのかもしれないって、バカみたいに考えてしまったの。それで……」

「そうなんだ……」


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