幾千の夜を越え
断片的な記憶が走馬灯の様に駆け抜けていく。

「!今、何と申されました…」

尊の口から耳を塞ぎたくなる決意の言葉が吐いて出る。

「余は山神に輿入れをする」

村から無事戻られた尊の元へ駆け付けた右近に開口一番に告げる。

「成りません!」

この時代に生きる右近であっても無論山神とは空想上の存在であることは習知の事実だった。

輿入れは獣に喰われるということその獣とは野獣であるか人であるか魔物であるか…。

ただ、その違いだけだ。

「右近…年寄りとは知恵じゃ。
先祖から受け継ぎし生き抜く為の知恵なのじゃ…」

尊自身も輿入れ自体に何の意味を為さないことはわかっている。

「お子は宝…この地を守って行き発展させる者なのじゃ」

この無垢で無知な尊は山神の存在をおそらくは知らずただ見知らぬ神様へと嫁いで行けば済むのだと思っている筈だ。

「若者はそれを繋ぐ意志じゃ」

この純粋な女は己さえ我慢すればいずれ山神が願いを聞き入れ望みを叶えてくれるかもしれぬのだと本気で信じているのだろう。

「何者が欠けてもこの村は朽ちてしまうのだから…余に出来ることをせずにどうする?」

全てを打ち明けてしまうことは…尊の決意を無にするだけでなく、崩れ始めた均衡を唯一繋ぎ止める手段を不意にすることなのだ。

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