偏愛ワルツ
キスをして、と彼女は僕に言った。

どうしていきなり? と泡食って訊ね返したけれど、彼女は僕の言葉なんて半ば無視して、「キスをして。感覚がなくなるようなキス」と、さらに要求を濃くした。

もうすぐ夕焼けで染まるだろう教室、窓から差し込む黄金色の日差しの中で、細かなチリがキラキラ光った。その煌めきが、彼女の勝ち気な瞳を、いっそう引き立てた。

八重歯が覗く。

「キスをして?」

「どうして? 僕は、君の恋人でもないのに。そんなことを頼むのは、おかしくない?」

ところが彼女は、「全然」と来たもんだ。いよいよ困る。

僕と彼女は、恋人じゃなければ、友達と言うほどでもない。ただ、同じクラスの、となりの席だ。知り合いではあるけれど、二年生に進級してからまだ一週間。彼女とは、それだけの時間しかない。

「キスって好きな人とするものだろ」

「あら。どうして」

「どうしてって、そういうものじゃないか」

「じゃあ、私はそうは思わない。キスはね、薬なの。夢を見られる薬」

夢を見られる薬?

高校二年生が口にするには、浮世離れした言葉だった。

「薬……ヤクでもやってんの?」

「まさか」
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