偏愛ワルツ
仕事をしている社会人なのに。

素敵な奥さんがいるのに。

私達の関係に、名前はないのに。

どうして彼は、私の呼び出しに応えてくれるんだろう。

私から彼への愛は、きっと、ないのに。

あるのはたぶん、愛よりタチの悪い、依存なのに。

自分でもシートベルトをしながら、空いている手をオーディオの下の、さらに下辺りに伸ばす。乾いた、鉄が擦れる音を上げて開けたシガレットポケットには、吸殻が何本か。

「……今日も汚れちゃったね」

「汚れないとやっていられないのが大人さ」

「肺ガンになるよ」

「人間の九割は、人生のどこかでガンになるそうだ」

「遅いか早いかなんだね」

「ああ」

おじさんを、試してみる。

「私もガンになるのかな」

「君は、そこまで汚れないさ」

「どうして?」

「きっと、いつまでもまっさらだからな」

「ありえないよ?」

「人類の夢さ」

「素敵な夢」

ポケットを閉じる。もうゴミになってしまった、吸殻は嫌いだ。ただ臭いだけだから。

でも、おじさんが吸っている最中の煙の匂いは、好きでも嫌いでもない。うそ。どちらかといえば好き。違う。たぶん、私も、中毒になってる。好きでも嫌いでもない。中毒だから。

そう。中毒なんだ。私はおじさんに依存している。彼がいなければ、私はどうなるんだろう。

きっと、汚れることも、綺麗になることもできない。

なぜそう思うかと言うと、おじさんは私にさまざまなものを与えてくれるけれど――

彼は、私の持っているさまざまなものに、ひびを入れてくるから。

「さて。ここからだと、少しかかるな。なにか食べていくかい?」

「おなか空いてない」

「ならどこかでドライブスルーにでも寄って、二人分勝手に頼もうかな」

「二人分勝手に、なんだね」

「そう、勝手に」

彼が車をスタートさせる。体が少し、クッション性の高い座席に押しつけられる。

でも残念なことに、おじさんに抱かれている時のほうが遥かにあたたかく、遥かに、くすぐったかった。


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