偏愛ワルツ
「家にいたくないんだ」

なぜ私はそう思うのだろう。

「なにか、ありました」

「わからない」

なぜわからないのかわからない。いや、そうではなく、唇が動くままに喋っているのだ。

まるで、あの少女が電話口で発した、「来て」のように。

「わからない?」

「ただ、外に出たい」

「これからですか?」

時刻は十時を回っているが、時間など関係なかった。これから、一分か、五分か、三十分か、一時間か二時間か、はたまた朝まで外にいるかも、決めていないのに。

「ああ。……来ないか?」

「……」

「外に出たいんだ。今は家の中より外にいたい」

「………」

返事はせず、妻は私に一歩近づいた。掴まれている腕を抜くように、私の手に手を当てる。手のぬくもりは、少女も彼女も同じだったが、香りは違った。人差し指と中指の長さも違った。指の腹が私の手の甲に触れる。その弾力も違った。ぬくもりだけは同じなのに。

「お付き合いします」

「ああ」

社交ダンスに誘ったような気分だった。手を取り合ったまま、妻がパンプスを履く。扉を開けると、春先といえど冷えた空気が滑り込んできた。妻のフレアスカートが靡く。

「少し寒いかもしれない」

「大丈夫です。手があたたかいですから」

「そうか」

< 48 / 52 >

この作品をシェア

pagetop