偏愛ワルツ
外に出たいと言ったのは――帰りたくないと言った彼女の真似だった。真似したくなった真似ではなく、無意識に、彼女の雰囲気を共有していた。

帰りたくない。それは帰れる場所があるという裏返しに過ぎない。私にとって、それは彼女のある街でも、ベッドでもなく、こうして手を繋いでいる妻のいる家庭なのだ。

私がどこに行ったのかも聞かず、あえて気にせず、話さないことを私の気遣いだと断言する妻のいる家庭が、私の出発点であり、毎日の終着点だ。

彼女の真似事に、意味はあるのだろうか。真似事をした理由はあるのだろうか。

理由のない行動が、私に衝動を与えてくる。

今なら、一歩……いや半歩。彼女の立つ世界に私も近づけるのではないだろうか。

吐いた吐息は白くはならない。見上げた空には星も見えない。雲がかかっているのか、それともただ空気が汚いのか。

玄関先で手を繋いだ夫婦が立っている。それははたから見れば、どう映るのだろう。想像しても、彼女の不思議さや純真さに近づけるはずもないとわかっているから、想像しない。

ただ、暗い空で伝染の黒がそよ風に揺れていた。

意味もなく宙ぶらりんになった私の心のように。

「ヘンな夜だな」

「そうですか」

「ヘンな夜に見える」

「今日は、アナタのほうがよっぽどヘンですよ?」

「……」

右に立つ妻を見る。やや上目遣いで見返してくる彼女は、おかしなことに、女学生のように微笑んでいた。

「ヘンか?」

「ええ。だって、こんな風に手を取り合って空を眺めるなんて」

「?」

「まるで、恋人同士みたいですもの」

「……そうだな。恋人同士みたいだ」

「ええ、それも熱々の」
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