偏愛ワルツ
妻は私を食い物にしている。ならば私は彼女を食い物にしているのだろうか。
妻を食い物にしているのだろうか。

あの時はうそで染めたキスを落とした。

今、寒さとは違うもので頬を赤く染めた妻に与えるキスの、うその成分は何パーセントだろうか。ただ、触れるだけのキスに、たった数秒もない触れ合いに。

人間という体のたかだか一部分が重なるだけの行為に。

私は今、うそを混ぜただろうか。妻と夫……それ以上の意味を含めるだろうか。

疑問符だらけのキスを経て、妻の柔らかな頬が笑む。垂れている目が細る。

彼女にはできない「ふふ」という笑い声は、やはり耳の奥をくすぐり、背筋があわ立つ。

「アナタ、顔が赤いですよ」

「お前に言われたくないな」

「戻りましょう?」

「……そうだな。帰ろう」

帰りたくないという言葉は、帰れる場所がある裏返しだ。

好きな相手にキスをする。その考えは、まじないだ。

キスをすれば、相手を好きだと思える。キスをしたら、相手を好きにならなければならない。キスをした自分に、暗示をかけられる。それは、したほうも、されたほうも。

私の帰る場所は、妻がいるところだ。

暗示がかかってしまった以上、もうそれは、妻の中で不変のものとなっただろう。

だから彼女は言うのだ。

「これからも、どうぞよろしくお願いしますね、アナタ」

私が、いつでも、いつまでも、自分のもとに戻ってくると確信して。










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