無花の桜木
娘は、思わず涙を零した。



様々な感情がもたらした涙。

その中でも一番の感情は、喜びだったのだろう。



娘は、夜風に舞う僅かな薄紅色の花弁を見つめ、ふと思った。

あの人も桜のような人だったと…。


優しく温かい、春を象徴する桜のように、彼もまた、優しく温かい存在だった。


特別優れていたわけではなかったけれど、誰よりも心の美しい人だった。この桜のように…。



「約束を…守ってくれたのですね」

娘は涙を拭って微笑んだ。

「戻って来て、くれたのですね」



突然、強い風が吹く。


娘は、手元に舞い込んできた花弁を優しく握り締め、胸元へと運んだ。


「ええ、判っています。約束ですものね」


ゆっくりと、手を開く。


手のひらに置かれたたった一枚の花弁を、風は優しく攫っていった。
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