海風
 おれは急いで岩場へと走った。その時裸足になってることに気付き、尖った岩場のあまりの痛さに怯み、仕方なく岩場を這うように進んだ。
 岩場の上から見る海は、魔物に見えた。強く打ち付ける波、ごっと唸るような音、どこまでも落ちていきそうな底の見えない深い青。
 ――こんな場所に飛び込んで、あの人は大丈夫なんだろうか……。
 おれは海を隈無く見渡した。海は荒々しく波を打ち付けていた。女性は、一向に浮かんでこなかった。
 嫌な不安が頭に浮かんだ。
「まさか、自殺……」
 裸で海に飛び込むなど正気の沙汰ではない。ありえない話……だけど、状況を見ればありえる話だ。
 ぶるっと背筋に寒いものが走った。
「……どうしよう」
 いくら眺めても海に反応はなかった。
 そんな……あんな綺麗な人が自殺なんて、世の中間違ってるよ……。
「……助けなきゃ」
 おれは左右を見渡した。砂浜からさらに遠くも見た。見えたのは、年期の入った木造の建物群と、海と、元気な犬だけだった。
 人はおれだけだった。
 彼女を助けられる可能性は、おれがやるしかなかった。
「なにやってるんだよおれ……」
 海に変化はない。
 おれは……
 助走をつけて飛び込んでいた。
「!」
 衝撃。
 おれは周囲をかぎわける。そして、ちょうど浮かんできた彼女と目が合った。

「え?」
「ええ?」

 彼女は驚いていた。
 おれは驚きすぎて、溜めに溜めてた空気を全部吐き出してしまった。

 そしておれは……

 波に揉まれ、流されていた。

 
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