あたしが眠りにつく前に
 しかし現実は珠結に冷酷だった。薬を飲み始め、睡眠発作の頻度と睡眠時間の長さは酷くはならなかった。つまり言ってしまえば、変わらなかったのだ。それも数ヶ月経てば徐々に徐々にと進行を再開した。

年を追うごとに強まる眠気、睡眠発作の増加、夜間睡眠の長期化。そのうえここ一、二年の間では新たに食欲不振、活力の欠乏、集中力の低下の症状も現われた。すでにフリスクも防眠ドリンクも意味がない。多少は抑えられていたはずなのに、薬も効かなくなってきた。

 蝕まれていく。壊れていく。あたしはいったい何の病気なの?

「で、最後に考えられたのが…」

 ―――クライン・レビン症候群。

 予期せず声が重なった。

「知って、たんだ」

「珍しい病気なんだってな。世界でも1000例ぐらいしかない、奇妙で残酷な‘眠り姫症候群’」

 ドイツとアメリカの心理学者の名前から付けられたその病は、別名‘周期性傾眠症’という。強い睡眠衝動を引き起こすといった類似の症状を特徴とする。異なるのは睡眠期間がかなり長期にわたるという点である。

「どんなに長く寝ていても、連続で半日以上眠り続けることはなかったのに。朝に起きる時間になってお母さんに起こされれば、目が覚めた。目覚めは良いものじゃなかったけど、意識はあった。…急だったな。春休みの終わりぐらいに、いきなり四日間眠ってた。一度も目を覚まさないままで。初めてだったよ、そんなに長かったの。後からお母さんに聞いたらね、どんなに呼んでも揺さぶっても、反応しなかったんだって。次は…三日間。それからは数日寝ては何時間か起きて、その間に単発のを何回か挟んで、そしてまた何日か寝ての繰り返し。学校始まっちゃったから、休むのに言い訳考えるの一苦労で…」

 アハハ、と笑えてしまう。笑わない帆高の拳にグッと力が入った。

「最初にクライン・レビン症候群のことを聞いたとき、それかもって思った。若いうちでの発症、原因は不明というのも自分と共通してたから。今はまだ睡眠時間は短めだけど、この先もっと伸びるかもしれない。それでも耐えられると思った。これまでと使ってきたのと同じ成分の薬物療法がメインだけど、他の睡眠障害と違って大人になったら自然治癒で治る場合が多いんだって。見えた気がしたよ、希望の光ってやつが。…でも、そんなのはすぐに消されちゃったけどね」

 スウッと珠結が大きく息を吸う。ここから先を話すには大きな覚悟がいる。

「決定的に無いんだよ、あたしには。いつまで経っても無いんだよ。夢遊病状態での排泄・食事行動が。最初は急な長期睡眠に体が対応できてないんだって思い込ませてた。でも何ヶ月経っても…。もう大変だよ、栄養失調、脱水症状になりかけるし、トイレに行かないからずっと垂れ流しで。そこの押入れ、紙おむつの買い置きが入ってるの。なんなら、見てみる?」

 下半身に感じる紙の質感、湿り気による不快感は無い。母がこまめに取り替えてくれている。身内とは言え、思春期の女子にとっては苦痛とも呼べる。同い年の異性に下の話をするということも、恥でしかない。

「あたしは人間として最低限のことができないの。極論だろうけど、この体は生きようと望んでないってことだよね。いっそ、終わってしまえばいいって見捨てられてるみたい。自分の体なのにね、情けないよ。こんな年で親に介護されるようになるなんてさ」
< 109 / 284 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop