あたしが眠りにつく前に
 それは校門を出て、歩くこと十数分経ったぐらいのこと。急にうっすらと眠気を感じだした。こんな時間にと、珠結には予期しないことだった。早く家に帰って布団に倒れこみたい。そんな願望が頭を支配して離れない。歩調を早めるも、比例して眠気の度合いも強まっていく。

 中学校では菓子類といった嗜好品の持ち込みは禁止されていた。防ぐ手立てのフリスクなども持っていない。薬入りのポーチは…机の中! 道端で行き倒れというのも冗談ではない。どうしようと頭を抱えかけた時、珠結の頭に一つの案がパッと浮かんだ。大道路から離れた、普段は通らない裏道。あそこを通れば、5分は短縮できる。

しかし欠点は辿り着くまでに急な階段があることだ。しかもかなりの段数がある、人呼んで地獄階段。早く家に着きたい時は、ちょくちょくここを通っている。他の生徒が通るところも見かけるが、いずれも下校の時間帯。上から見下ろすと、かなりの高さを感じられる。

 石段はデコボコしているものの、足を取られる程ではない。ただ手すりがないのが覚束ない。逸る気持ちを抱えながら、一歩一歩慎重に下っていく。こんなところで落ちようものなら…寒気がする。その恐怖が珠結の冷静さを繋ぎとめる。

半ばまで下った時、急に視界がぼやけて世界が揺れた。その先からは記憶がない。目が覚めたら、やはり始めに見えたのが白天井。それと自分の手を握りしめた母のやつれた顔。
手鏡で映った姿は、頭も手足も包帯でぐるぐる巻き。ほんの少し動いただけで全身に激痛が走った。

 階段から落ちたと聞かされ、ああやっぱりと笑いそうになった。直後の記憶が無くて、良かったと息を吐いた。この時はいささか、頭がおかしくなっていたのかもしれない。母の反応云々は前述と同文として、落ち着いた頃に怪我の詳細を聞けた。

前のめりに倒れこみ、かなりの高さから転げ落ちたため全身を強く打っていた。手足は打撲で骨折は免れたが、問題は頭だった。打ち付けた部分がもう少しずれていたら即死していたという。また裏道に続く場所で元々人通りが少なく、発見が遅れたという。これまた後数分遅れていたら…のレベルだったらしい。

 親の心、子知らずというもの。怪我に対して楽観的に考えていたのが、実はものすごく危ない橋を渡りかけていたということで。1週間もこん睡状態で後々も面会謝絶がなかなか解除されなかったのも、かなり命の危機にさらされていたということで。ある意味、強運の持ち主。この運はいくらぐらいで売れるものか。そう一瞬でも値踏みした当時の自分は、事故の衝撃で頭の太いネジがだいぶ緩んでいたに違いない。

 ―――これが、母の精神を消耗させ尽くした‘1度目’だった。

 しかし転落事故そのものよりも、その後のことが珠結にとって痛いものだった。
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