あたしが眠りにつく前に
「どういうこと!? 部活やめただなんて」

 追及するタイミングが掴めずに迎えた放課後。珠結はまだ生徒の残る教室から帆高を連れ出し、空き教室に引っ張り込んでいた。どちらも部活動の時間を心配する必要が無い。とことん続行できる。帆高は黒板にもたれ、不服そうにそっぽを向いている。

「…そんなこと。戻る」

「待てっ! あんなに一生懸命やってたのに。レギュラーに選ばれてたんでしょ? …まさか先輩達とトラブルにでもなったの!?」

 1年が他の上級生を抜かしてレギュラーに選ばれるなど、通常ならやっかみの対象となること請け合いである。しかし、ここのサッカー部は断固として実力主義を貫いている。前々から地元のクラブに所属し、入部した直後から既にかなりの力をつけている生徒も少なくはない。よって中学生になって初めてサッカーを始めた上級生よりも、後輩のほうが優れているのもザラだ。そんな体質だからこそ妬んで嫌がらせをしようものなら、逆に追い出される。

 珠結は帆高が入部して数日後に、そう聞かされた。「思う存分、突っ走れる」頬を緩めて、嬉しそうに話していた。まさかと切り出した疑惑は、当時と変わりない説明をもう一度受けた後に否定された。

だったら、なぜ。人間関係のトラブルは無い、スランプの兆候もサッカーが嫌になったという愚痴も、珠結の知る中では思い当たらない。改めて理由を問い詰めようとしたところで、帆高が振り向いた。

「死にかけたんだってな」

 帆高が見つめるのは珠結の目ではなく、額の部分。前髪の下には、派手目の掠り傷が潜んでいる。場所的に出血量は多かったが、縫うまでではなかったので跡は残らないと思う。帆高の手が伸びて前髪を掻き分け、薄いガーゼの上からそっと触れられる。

友人達には単に階段から落ちたとしか話していない。怪我の程度もわりと長期な入院期間も、騒がれそうな点は伏せていた。とはいえ互いの母親が友人同士である帆高には、全ての事情は筒抜けだった。見舞いの話も幾度か出ていたが、珠結は一切拒否した。大事な時期の帆高に、余計な用事をさせたくなかった。

「今大事なのは、そのことじゃ。…あー、打ち所がもう少し悪かったらの話だよ。結局、全体的にはそんなに深刻な怪我じゃなかったし。運が良かったと思うよ?」

「逆だろ。…‘あれ’のせいだろ?」

 帆高の言いたいことが分かった。信号が出ていたのに、不注意な行動をとったのは浅はかだった。せめて収まるまでの数分、じっとしているべきだった。もう同じ轍は踏まない。珠結は口を濁しながらも肯定した。説教は母親からので随分堪えた。ある程度聞いてから、話を戻そうと思ったのだけれども。
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