あたしが眠りにつく前に
 なぜか、帆高が軽く溜息。このタイミングで、これ如何に。
 
「いや、分かってないだろ」

「え、分かってるってば。人の傷を見たら自分も痛く感じ…」

「もういい。黙れ」

 不機嫌になった帆高は「手足もな」と付け足す。腿のものについては早い段階で、きっとあの日見られたのだろう。止められない、眠いと抗うがために抓り続けた。場所を変えても、痣が残るまで強めても勝てなかったことは多々。聡い帆高なら勘付いているはずだ。

そしてもう一つ、それら自傷の痣にに紛れた一部の痣は、点滴・注射のによるものであるということ。こればかりは帆高は知っているだろうか。暗黙の了解ということもある、今度は珠結が家の住人として、救急箱を取りに向かった。
 
 消毒薬を垂らすと、帆高が顔をしかめた。つられて珠結も眉間に皺が寄る。帆高の掌の傷は予想以上に爪が深く食い込んでいたらしく、ダラダラと流れ出した血がなかなか止まらなかった。絆創膏では間に合わず、「自分でやる」と拒む帆高を制し、珠結が慣れない手つきでガーゼなり包帯なりで止血する。

元運動部の帆高なら手際が良いだろうにな、いっそ帆高自身がやった方が? 女のプライドに少しヒビが入ったような気がしないでもない。ちなみに珠結の場合は母にやってもらった。こうして奇しくも‘おそろい’が出来上がってしまった。

 後日談として、珠結の部屋を掃除していた母親が真っ赤に染まった大量のガーゼをゴミ箱から発見して修羅場になったのだが、ここでは語らないでおく。

「ねえ、帆高。ちょっと頼みごと、聞いてくれる?」

 帆高の治療を終えて救急箱に道具を戻しながら、珠結は包帯が不恰好に巻かれた己の手を眺める帆高に切り出した。

 帆高から珠結の目覚めの連絡を受けていた珠結の母親が帰ってきたのは、少ししてからだった。病み上がりなのに、と珠結の体を心配する彼女を帆高も巻き込んで説得し、すぐ帰る条件で家表に出た。向かう先は珠結にとって、懐かしい場所。

 土曜日で文化部の練習があったことで、校舎は開いていた。本来私服での出入りは禁止されていたのだが、職員室にいた教師陣は皆、珠結の事情を知らされていたのだろう。あっさりと許可してくれた。

まだ本調子ではない珠結に腕を貸しながら、帆高は階段をひたすら上る。背負うことも抱き上げるのも、大きく頭を振る珠結に拒否されていた。扉の前でいつかと同じ過程を経て扉を開き、珠結は帆高の腕を離して歩き出す。

「変わってないね。半年も経ってないから、当然かあ」

 町で一番空に近いこの場所の中心で、珠結は大きく伸びをした。

「またしばらく来れなくなるからね、焼き付けておこうと思って。涼しいね、風」

 帆高は屋上に踏み出さないまま、立ちすくんでいた。振り返った珠結の顔は逆光で見えない。そのうえ靡いた長い髪が、覆い隠してしまう。

「帆高も早くおいでよ。不安に、なっちゃう」
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