あたしが眠りにつく前に
「いやいや、香坂さんのせいじゃないから! 全く気にしてないし、香坂さんの言ってたことは、あたしも思ってたことだし」
「…え、知ってたの?」
…あ。滑った。彼女は彼女なりに心にしこりを残しているらしい。珠結は話すことにする。あの日の放課後には偶然居合わせて、盗み聞きするつもりはなかったこと。針の筵状態の帆高自身は堪えてなかったこと、二人の一時離別は珠結の馬鹿な試みがためであったこと。決して、彼女が気に病むことなど無いことを。
少し時間はかかったが、絵里菜は理解してくれたようだった。でもその顔は納得とは程遠い。
「それでも…私の気がすまない。私が発端なのは変わらないもの。罪滅ぼしっていうか、何かしないとモヤモヤして苦しい」
「そう言われても…。あ、それなら香坂さんのこと聞かせてよ。人と話すのが、あたしの数少ない楽しみだからさ。たとえば、いつ帆高のこと好きになったとか? どう? 無理にとは言わないけど」
絵里菜が湯気が出そうなくらいに顔を真っ赤にする。久々にガールズトークしたいな。しどろもどろな彼女への止めとばかりに、里紗の子悪魔スマイルを真似てみる。
「私たち、同じ中学だったのは知ってる?」
「え? そうだったの?」
「当時の私、すっごく地味だったから無理もないよ。おかっぱの黒縁メガネで、本だけがお友達の暗ーい子。クラスメイトにも先生にも気に留められないで、いつも一人だった」
想像してみたが、無理だった。今の彼女を見る限り、そんな過去を持っていることなど誰が予想できよう。
「忘れもしない、中学3年の冬。一之瀬君に初めて会った。教室には、花瓶が一つずつ置いてあったよね。でも花を持ってくるのも生けるのも担当の係がいるわけじゃなかったから、めったに使われることは無かった。でもある日、クラスの女の子が大きなバラの花束を持ってきたの。ピアノの発表会でたくさんもらったから、って言ってたかな」
きれい、すごいともてはやされたのは、その日のうち。次の日からは、誰の目にも映らなくなった。世話する義務は無い、誰も目を向けない。花を持ってきた本人も、用済みだとばかりに知らんぷりしていた。
枯れていく。腐敗臭がうっすらと漂い出す。注目の的だった美しいバラは、嫌悪の対象へと変貌する。あわれな花に手を差し出そうとしない。
まるで、私みたい。いや、元は美しい姿だったのだから、自分よりもよっぽど。誰もいなくなった放課後、流しへと花瓶を抱えた。
ひっくり返し、ドロリとした緑の水が排水溝へと流れていく。強烈な腐臭に、涙が出そうになる。こんなに、なるまで。茎のヌルヌルを一本一本、擦り落としていく。蛇口から流しっぱなしの水は氷のようで、指先が刺すように痛む。次第にその感覚も麻痺していく。
「…痛っ」
指先から血が丸く膨れ上がる。臨界を超えると、下へと垂れる。見ていたのに、気づいていたのに。バラの、罰。受けて当然だ。
「早く洗い流しなよ」
隣に学生服を着た人影を認めた。顔を見上げて、息を飲む。自分には、縁遠いはずの。
「傷つきかけているのに、黙って見ていたのは罪だ」
「…え、知ってたの?」
…あ。滑った。彼女は彼女なりに心にしこりを残しているらしい。珠結は話すことにする。あの日の放課後には偶然居合わせて、盗み聞きするつもりはなかったこと。針の筵状態の帆高自身は堪えてなかったこと、二人の一時離別は珠結の馬鹿な試みがためであったこと。決して、彼女が気に病むことなど無いことを。
少し時間はかかったが、絵里菜は理解してくれたようだった。でもその顔は納得とは程遠い。
「それでも…私の気がすまない。私が発端なのは変わらないもの。罪滅ぼしっていうか、何かしないとモヤモヤして苦しい」
「そう言われても…。あ、それなら香坂さんのこと聞かせてよ。人と話すのが、あたしの数少ない楽しみだからさ。たとえば、いつ帆高のこと好きになったとか? どう? 無理にとは言わないけど」
絵里菜が湯気が出そうなくらいに顔を真っ赤にする。久々にガールズトークしたいな。しどろもどろな彼女への止めとばかりに、里紗の子悪魔スマイルを真似てみる。
「私たち、同じ中学だったのは知ってる?」
「え? そうだったの?」
「当時の私、すっごく地味だったから無理もないよ。おかっぱの黒縁メガネで、本だけがお友達の暗ーい子。クラスメイトにも先生にも気に留められないで、いつも一人だった」
想像してみたが、無理だった。今の彼女を見る限り、そんな過去を持っていることなど誰が予想できよう。
「忘れもしない、中学3年の冬。一之瀬君に初めて会った。教室には、花瓶が一つずつ置いてあったよね。でも花を持ってくるのも生けるのも担当の係がいるわけじゃなかったから、めったに使われることは無かった。でもある日、クラスの女の子が大きなバラの花束を持ってきたの。ピアノの発表会でたくさんもらったから、って言ってたかな」
きれい、すごいともてはやされたのは、その日のうち。次の日からは、誰の目にも映らなくなった。世話する義務は無い、誰も目を向けない。花を持ってきた本人も、用済みだとばかりに知らんぷりしていた。
枯れていく。腐敗臭がうっすらと漂い出す。注目の的だった美しいバラは、嫌悪の対象へと変貌する。あわれな花に手を差し出そうとしない。
まるで、私みたい。いや、元は美しい姿だったのだから、自分よりもよっぽど。誰もいなくなった放課後、流しへと花瓶を抱えた。
ひっくり返し、ドロリとした緑の水が排水溝へと流れていく。強烈な腐臭に、涙が出そうになる。こんなに、なるまで。茎のヌルヌルを一本一本、擦り落としていく。蛇口から流しっぱなしの水は氷のようで、指先が刺すように痛む。次第にその感覚も麻痺していく。
「…痛っ」
指先から血が丸く膨れ上がる。臨界を超えると、下へと垂れる。見ていたのに、気づいていたのに。バラの、罰。受けて当然だ。
「早く洗い流しなよ」
隣に学生服を着た人影を認めた。顔を見上げて、息を飲む。自分には、縁遠いはずの。
「傷つきかけているのに、黙って見ていたのは罪だ」