あたしが眠りにつく前に
「ハチだ。どっから入ってきたんだろ」

 見たところスズメバチではないので、自分達で何とかしても大丈夫だろう。絵里菜が窓を開けるも分からないのか、ハチは反対の方へと移動してしまう。窓ガラスを叩いたり珠結が渡したティッシュの箱で押し出したりして、ようやく空へと飛び立っていく。

見届けて窓を閉める時、風が室内へと吹き込んできた。絵里菜のコロンの香りが風に乗って珠結の元に運ばれる。

「香坂さん、コロン変えた? 今日のは…カシス?」「言っちゃうけど私、イチゴよりも柑橘系のが好きなんだ。色とかも、ね」

 着ている服を指差して、絵里菜はイタズラがばれた子供のように笑う。

「じゃあなんで、前はイチゴのつけてたの?」

 絵里菜はきょとんとすると、口を押さえて噴出した。 

「ふふふ。永峰さんって、思ったとおりの人だった」

「ん? どう思ってたの?」

「鈍くて、図太い人」

 その率直な物言いに、二人して笑ってしまう。

「それと、呆れるほどお人よし」

「それはないよー。人のこと考えられるほど、あたしは心の広い人間じゃないよ。自分のことで精一杯。ちょっと気にしてみたところでも空回りして、いつまで経っても怒られっぱなしだもん」

「さあ、どうかな。というわけで、これもらうね」

 取り出したオレンジのゼリーを顔の横に掲げて、絵里菜はにっこりと微笑んだ。

 スプーンを見つけ、生クリームとイチゴミルクの2層を存分に眺めてから思い切ってすくう。口に含んで、何とも言えない幸福感に浸る。

「幸せそうな顔してるね」

「だってイチゴミルク大好きだから。毎日飲んでも飽きないぐらい」

「一之瀬君が毎回届けてくれるほどだもんね。杉原さんから聞いたよ」

「そんな律儀な帆高と、付き合わないの?」

 気管支に入ったか、ゴフッと絵里菜が盛大にむせた。乙女の意地か、ゼリーを吐き出すのは持ちこたえようとしているようだ。

「や、やだ。永峰さん、何言って」

 まだ少し咳き込みながら、絵里菜は滲んだ涙を指の腹で拭う。

「え、隠れ両思いなんじゃないの? あたしがいるから、お互い踏み切れないとか? それなら、あたし…」

「ないない。一之瀬君にとって私は、同級生の一人でしかないよ」

「帆高のこと、もう好きじゃないの?」

「そんなわけない! …だからね、永峰さん。一日も早く、学校に戻ってきてね。そうじゃないと、先に進めない。永峰さんとは、同じ舞台で勝負したいから」

 悲しげにも切なげにも見える表情で、恋する彼女は宣言した。

「勝負って…。あたしはそんなつもり、ないからね? 帆高は何と言おうと幼馴染! 応援するよ、二人はお似合いだと思うし」

 ‘何をおっしゃるウサギさん’なジト目が何とも痛い。

「香坂さんは男のイトコいる?」

「いるけど? 2つ上の」

「恋愛対象に見える?」

「う~ん、見えないかな。お兄ちゃん的存在だし」

「それと同じ」

 以下、前述の繰り返し。今度は口の中が空だったため、軽度で済んだ模様。
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