あたしが眠りにつく前に
「そんなにムキになることか?」

 ベッドのテーブルに顎を乗せてぶつ腐れる珠結に代わり、帆高が雑誌とペンを片付けてやる。変なところで意地を張るんだから。帆高がおもむろに冷蔵庫を開いた。

「ほら、これでも飲んで落ち着け」

 今日の分のイチゴオレが珠結の膨れた頬に押し付けられる。帆高は催促したわけでもないのに、見舞いに来るたびにイチゴオレを持ってきてくれる。帆高が来た時に珠結が目覚めていなくても、後日必ず飲むためストックが溜まっていくことはない。

 ストローを刺して喉に流し込めば、穏やかな気持ちに導いてくれる。

「帆高ってさ、先生に向いてるんじゃない?」

 帆高が問題を解く姿を見ていて、思い出した。

「どちらかといえば文型よりだけどさ、全般的に勉強できるし。教え方も丁寧で分かりやすくて。帆高に勉強教えてもらうたび、いつも思ってた」

 朗々とした声に、聞き取りやすいペース。教える内容は簡潔であり明快。どんな質問にも答え、間違ったら問題集には繊細で見やすい、青いペンで書かれた解説文が散らばっていた。

「あのなあ、教師ってのは勉強さえできればいいって問題じゃないだろう。普段から生徒とのコミュニケーションが大事になってくる。生徒同士や他の教師との関係、さらに家庭環境にも気を配ったり、進路や生徒個人の相談にも乗ったり。俺にできると思うか?」

「それって人間関係以外に関してなら、問題無いってこと?」

 珠結は背筋を伸ばして、帆高に向き直る。

「帆高はよく言うけどさ、帆高は自分が思うほど自分本位じゃないよ。冷めてる部分はあるけど、本当に必要とする人には手を差し伸べるじゃない。中途半端に見捨てることも無い。適正? とかもさ、この先大学に入ってたくさんの友達や先輩、教授に会って帆高自身何かが変わるかもしれないよ」

「俺が…変わる?」

「人生って何が起きるか分からない。だから、生きてみなくちゃ。それが面白いんじゃないの」

 帆高が黙り込んで、何か考え込んだ素振りを見せる。偉そうなこと言ったと思う。でもこれが珠結なりの見解だ。難しい顔の帆高は怒っているようでもなく、虚空を見つめて思索にふけっていた。

 気づけば、ベッドに横たわっていた。目を擦って起き上がると、帆高は同じ場所で座っていた。彼の服装は目覚める前に着ていたものと一致する。

「あたし、寝てた?」

「ああ、急に後ろにもたれ掛かったのは驚いた。日付は変わってない、だいたい1時間ぐらいか。今回は短かったな」

 うつらうつらの間が無いまま瞬間的に眠りに落ちるのも、よくあること。周りの人間は驚いて当然だし、立っていたり歩いていたりする時には本人でなくてもヒヤヒヤものだ。

「そっか。帆高、帰らなかったの?」

「すぐに起きるかもしれないだろ」

「かと言って、また数日眠り通しだったかもしれないじゃない。そっちの方が、確率的に高いのに」
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