あたしが眠りにつく前に
「少しでも長く居たいから」

 帆高は真剣な顔でまっすぐに見据えてくる。その瞳は挑んでいるようにも見えた。なぜか、珠結の心臓がドクリと鳴った。

‘誰と’をメインに考えれば、甘く聞こえる言い方。しかし彼のこと、‘どこに’の点に重きを置いているのだろう。真っ先に前者を思い浮かべてしまった自分は、なんてメルヘンな脳をしているのか。

「…そ、そうだね。まだ日が高いし、こんな暑い中を帰るのも嫌だよね。もっと日が傾けばマシになるだろうから、ゆっくりしてきなよ」

 珠結の考え直した返答を聞くと、帆高は微妙な顔になって鼻で苦笑(わら)った。目を剥く珠結を横目に、頭を抱えて自嘲する始末。

「いや、少しでも期待した俺が阿呆だった。いいんじゃないか、珠結はそのままで。さすが天然記念物並みの鈍感は規模が違う」

「な、期待って何のことよ? って、それ…! いつ里紗に聞いたの!?」

「…なあ。外、騒がしくないか」

 複数の人間による喧騒とバタバタとした複数の足音が、すぐ近くから聞こえる。勢い良く開かれた扉は大きな音を立ててぶつかり、ゲラゲラと笑い声が病室内に充満する。

「よー! 思ったより元気そうじゃん。派手にやったんだって?」

「ホント、災難だっつの。ちょっと脇見たら滑ってずっこけて。そんで足折って全治2ヶ月。すっげ痛かったっつーの」

「バッカじゃん!!」

 病室に入ってすぐの、珠結の右隣の患者の見舞い客らしい。

「隣、若い男性(ひと)だったよな」

「いつから入院しているのかは分かんないけど、つい最近来た人みたい。バイク事故で怪我したんだって。携帯で話してるの、聞こえた」

 この時点で、隣の患者が好感を持てるような人物ではないことは想像できる。引いていたカーテンの陰からそっと覗けば、大学生くらいの青年が友人らしき3人と大声で雑談をしていた。ヤンチャそうな人物もいれば、普通のこざっぱりとした格好をしている者もいる。

酒を飲んでいるのでもなさそうなのに繰り広げられる、どんちゃん騒ぎ。不快。極めて不快。鼓膜にキンキンと響いて、痛いくらいだ。

正面のベッドの老婦人も、旦那と思われる老紳士と困ったように顔を見合わせていた。これだけうるさければ、ナースコールを押さなくても誰かが駆けつけてくるだろう。珠結が早く早くと願っていると、帆高がおもむろに立ち上がった。

「帆高、どうするの」

「決まってるだろ、黙らせる」

「いや、相手が悪いって。ここは病院の人に任せた方がいいでしょ」

 珠結は腕を引っ張って、帆高を引き止める。こういう非常識な場面においての導火線は、帆高の方が短い。怖気づくことなく冷静に注意したところで、彼らがおとなしく従うはずがない。年下の正義ぶったガキが偉そうに。その場で揉め事に発展するかもしれないし、今後も顔を合わせるなり御礼を頂戴する羽目にもなりかねない。

「…だな。俺だけならともかく、珠結も巻き込むわけにはいかないからな」

 いや、自分の身を心配してください。もう、まだ来ないのか。そう珠結が思っていた矢先。

「病院って初めて来たけどさ、マジ消毒くせーのな」

「それに死の臭いも充満してマースってか?」
< 132 / 284 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop