あたしが眠りにつく前に
「…すごいな」

「家だと絶対、旦那さんを尻に敷いてそう」

 カーテンの隙間から、二人も呆然の態で一部始終を目撃していた。

「お騒がせしてごめんなさいねー」

 人好きのする笑顔で病室中の人に声をかける彼女が、先ほどのルシファーと同一人物だとは思えない。働くって、学生の自分達が考える以上に大変なことなのだ。この仕事は彼女みたいに、たくましくないとやっていけない。珠結の心には看護師への尊敬の念が沸き起こる。

 再び穏やかな空間が戻ってきてホッとしていると、彼女がベッドの前に現われた。

「起きてる貴女に会うのは初めてね。今日は顔色良いみたいで、良かったわ」

 珠結はぺこりと頭を下げる。かかった名札を見れば鬼頭とある。ああ、納得。

「貴方は永峰さんの彼氏さん?」

 帆高を見ながら尋ねる鬼頭に、珠結は「違います」と即答する。

「俺達、幼馴染なんです。幼稚園からの付き合いで」

「よく間違えられますけど、いわゆる腐れ縁ですよ」

 「そう」鬼頭は二人を交互に見て意味ありげに笑む。信じてないなと思うも、怪しく思われるだろうから念押しはしないでおく。

「あの子達、あんなこと言ってたけど根はそんなに悪くないと思うわ。ちゃんと謝ったし、あの分なら敷地内のどこかでおとなしくしてるんじゃないかしら。はしゃぎすぎての失言ってことで、忘れてあげてくれるとありがたいわ。荷物は置いていったから戻ってくるだろうけど、顔を合わせても気にしないで、ね?」

 鬼頭の小声での言葉は、最後の方は帆高に向かって囁かれていた。帆高が困ったように目元を押さえる。

「俺、そんなに分かりやすいですか?」

「貴方の倍以上も生きてきて、伊達に長く女をやってるわけじゃないからね。それと…」

 顔を寄せて珠結の耳に何事かを囁くと、鬼頭看護師は颯爽と病室を後にしていった。また先生と婦長に怒られちゃうわ、と不穏な言葉を口にしながら。その割りに声はあっけらかんとしているので、彼女にとっては珍しくもないことなのだろう。

「何、言われたんだよ」

「帆高こそ、鬼頭さんと何のこと言ってたのよ」

 「墓場まで持ってく」揃った声に、二人して呆れ笑い。

「さっきの珠結、必死の形相で傑作だった」

「だって帆高が出て行ったら、大変なことになるの目に見えてたし。どうするつもりだったの」

「非暴力的かつ平和的な手段で。犯罪者になるつもりなんてないって。多少はこじれるのは覚悟してたけど、あの人みたいにあそこまで穏便に事を運べた自信はないな。結局、仕事のプロと年長者には適わないか」

 帆高はそう言うが、間に合って良かった。珠結は心から思う。あれが穏便な方法と言えるかは判断に迷うにしても、何事も無く終結したのだから良しとする。
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