あたしが眠りにつく前に
『―――3年生押しのけて絶対もぎ取ってくるから、楽しみにしててね! それじゃあね~。――カチッ』

 いかにも元気いっぱいの声と、直後の機械の軽い停止音。珠結はイヤホンをそっと外した。

「元気な子ね。こっちにも声、聞こえたわ」

「そうだよ。里紗はいつもこのテンションなの」

 珠結は口許に笑みを浮かべながら、椅子に座ってリンゴを器用にするすると剥いている女性に答える。黒のボブヘアーにかなりの痩せ型、薄めのインナーにジーパンとしゃれっ気は無く。去年30代半ばを迎えたばかりの彼女は、珠結の実の母親だ。

高校生の娘がいるとは思えない若々しさながら、顔付きは母親特有の強くしたたかなもの。纏う空気は、世間で必死に生き抜いてきたたくましさを放っている。

「里紗ちゃん、何て?」

「今度は写真だけじゃなくて、ビデオも撮ってきてくれるって。あと、お土産楽しみにしててって」

「お土産?」

「優勝だよ」

 月日は瞬く間に流れるもので、サイドテーブルの卓上カレンダーは10月を主張していた。この時期には決まってビッグイベントが開かれる。先月行われた文化祭は写真を見る限り、とても盛り上がったようだ。屋台や出し物の看板が立ち並ぶ中、誰もが皆溢れんばかりの笑顔を見せている。

今にも賑やかな声が聞こえてきそうで、画面の向こうの自分のいなかった日の名残をそっと撫でてしまう。そして来週は体育祭。皆が汗を流して各競技の練習に励む中、自分はベッドの上で一日中うつらうつらと過ごす。それが悔しくてならないが、どうしようもなく。

「良かったじゃない。…でも、やっぱり行きたかったわね。あんなに楽しみにしてたのに」

「そうだけど仕方ないよ。気を遣ってもらうなんて絶対嫌だし、足手まといになるのは目に見えてる。せめて皆が楽しんできてくれれば、それでいいよ」

 不満そうな表情の彼女は切ったリンゴを皿に乗せ、珠結の手元に置く。かわいらしいウサギが6羽。自分には到底こんな芸当はできない。

フオークで刺すのは残酷な気がして、指でつまんで口に運ぶ。シャリッとした歯ざわりと甘酸っぱさは、抗感無く喉を通る。風邪をひいた時によく食べた、擦りリンゴが懐かしい。

「珠結、あんたはよく言えば聞き分けがいいんだろうけど、あたしはそれが心配よ。全てを諦めるようにしてるみたいで。もっと喚いていいのよ、望めばいいの」

「無理なんてしてないよ、ちゃんと本心。だってあたしは、いつもいろんなものをもらってるんだから」

 その一つがこのテープだ。中には里紗だけでなくクラスメート全員からのメッセージも吹き込まれている。それは今回だけではない。個人個人で珠結の眠る傍らで録音したり、学校で他クラスの友人達の分も集めてくれたりする。
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