あたしが眠りにつく前に
 賽銭箱の前に立つと、鳥居の前と同じく小揖。

「小銭、ちゃんと持ってるか」

「うん。ねえ、お賽銭ってどのくらい入れるのが適当だと思う?」

「俺に聞くなよ。人それぞれなんだから、自分で考えろ」

 隣に立つ帆高はさっさと賽銭を投じる。財布を見ながら珠結が真っ先に思いついたのは、5円と45円だ。しかし今回はご縁はあまり関係ないし、願い事の割りに安価である気がする。少し逡巡して、珠結は500円玉を投じた。賽銭箱の底に直接当る固い音がした。

 鈴が無いのを残念がりつつも、珠結は二礼二拍手の後に手を合わせて念じる。まずは自分の名前と住所を名乗る。そして感謝の意を述べる。

第一に感謝するのが大切だと、帆高の家を出る前に帆高に教わった。今回はお礼を言いにきたのであって、元よりそのつもりだったが、普通の参拝の場合でも変わらないらしい。

自分が今こうして生きていることを神に感謝し、願うのではなく誓う。誓いを守るために自身で努力することで、‘叶う’ように。

 珠結は目を閉じて手を合わせ、じっと祈る。目を明けると、帆高はすでに参拝を済ませており、目の前の扉の固く閉ざされた神殿を凝視していた。あまりにも厳しげな顔つきは、睨みつけているようにも見受けられる。

そんな態度では、先ほど自分に教えてくれた謙虚な態度とは矛盾しているのではないか。
珠結は不審に思いながら、深く礼をした。それでも帆高は隣に立つ珠結の存在に気づいていないかのように、微動だにしない。声をかけたところで、ようやく帆高は「ああ」とたった今戻ってきたかのごとくな返事をした。

「熱心に手を合わせてたな。あれだけ祈れば届いてるんじゃないか」 

「ううん。あたしはお礼を言っただけ。他は何も念じてないよ」

 帆高が目を瞠り、本殿前の石段を降りる足を止める。

「何もって…、病気のことがあるだろ!? それ以外に無いだろ!」

「もちろん、考えてたよ。早く病気が治って、日常に戻りたい。それが一番の、願い。でも『病気が治りますように』って、自分への誓いとは違うじゃない。それは願い事でしょ」

「それが叶うように、自分はどう努力するか誓えばいいだろ。ほら、もう一回行って来いって」

「その努力の方法って? 病気が治るために、何を頑張ればいいの? …思いつかないよ、そんなの。あたしに何ができるかなんて…、分かんないから誓えない」

 もう、睡魔に抗うことはできない。睡眠発作の波に素直に飲まれるだけ。せめて目覚めている時は体力が低下しないように院内を散歩したり、食べ物を進んで口にしたりした。それでも気休めにしかならなくて、変わらないどころか悪化していく。

効果的な治療法も明るい兆しも無い、可能性すら見出せない。そんな状態の中で何を誓えるというのか。

「神様だって、全てを聞き届けられるはずがない。どうしても叶わないことを期待するのは無いものねだりで、神様の望む謙虚には程遠いよね。…ありえないことが起きることを奇跡って言うけどさ、あれは神様なりの同情なのかな。憐れむべき選ばれた人だけが授かることができて、そういう人たちもきっと何かしらの努力をしたんだろうね。なら、何の誓いも立てないあたしに、奇跡なんて起きない」
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