あたしが眠りにつく前に
「奇跡なんて」

 帆高は振り返ると、本殿を見上げて言葉を続ける。

「どんなに強く誓っても、どんなに必死に努力して誓いを達成しても、願いが必ず叶うとは限らない。神様が聞き届けてくれるとは保障できない。それでも、それでも祈らずにはいられない。神という抽象的な存在にしがみついて、その超然的な力にすがらずにはいられないんだ。奇跡なんて不可思議な存在も信じてしまうんだよ。そのために、大切なものを我慢することになっても。…珠結は願掛けって知ってるか」

「何となくは、かな。えっと、願いが叶うように自分の一番好きなものを我慢するとか、お百度参り? みたいに、神社にたくさん通うとかすることだっけ?」

「そう。願いが叶うまで自身に試練や苦行を課すことに、根本的な意図があるんだ。そこまでしても、最後まで叶わないままってこともあるけどな。要は、その困難に強い意志をもって耐えていくことで、叶うかもしれないってIFの話だ」

「それでも。この神社の神様だって、今まで色んな願掛けの願いを叶えてくれたんだろうね。ずっと、長い間」

「ここは昔から、この地域で1番願いが聞き届けられる神社として有名だったんだ。失礼な話、見た目からしてそうとは思えないだろうけど」

 確かに。珠結も失礼とは思いつつ頷いていた。がらんとした境内には狛犬の姿もなく、かつては御神木として崇められていたらしき、精気を感じさせないほど黒ずんだ切り株があるだけだった。顔とも呼べる本殿も全体的に古めかしく、建物のあちこちが朽ちていて修理の必要性を感じさせられるほどだった。

 しかし不思議と、季節特有の涼しさと木々に囲まれているという理由だけでなく、空気がそのものが澄んでいるように感じられた。全体的に雰囲気は古びていても、境内の落ち葉は片付けられていた。手水舎も屋根はともかく、水周りは意外と綺麗なものだったと思い返す。人が寄り付かないながらも、殊勝に手入れをしてくれている人がいるらしい。

それもあるからだろうか、確かにいらっしゃるのだ。珠結は泣きたいような心地になった。

「縁結び、商売繁盛、厄払い、様々な内容の願掛けが行なわれて、真摯に願って誓いを実直に遂行した多数の人達が聞き届けてもらえたって言い伝えられてきた。でも今じゃ規模が大きくて見た目立派な向こうの神社の方が親しまれてる。ありがたい謂れも掻き消えていって、もう年配の住人しか知らないんじゃないかな。俺がここを選んだのもそういうわけ」

「なんか、寂しいね。忘れられていくって」

 胸が痛い。自分は薄れつつある人間だ。学校に行かなくなって長くなる。自分がいないことが通常であって、いつしか「いたっけ?」と存在自体が忘れられるかもしれない。見ず知らずの同級生なら納得できる。しかし友人達に当てはめると、考えられるだけで心臓が締め付けられるように苦しい。

「だな。けどな、誰かが覚えていてくれるなら、存在を認めてくれるなら。それは忘れられたことにならない、消えないでいられる。少人数でも、たとえ一人でも思ってくれる人がいるから、生きていけるんだ」
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