あたしが眠りにつく前に
「こっちこそ、急に悪いわね。そっちは、今話してても大丈夫?」

 いつもなら聞き取りやすい声色が、今日は潜めているようにやや低く聞こえる。

「大丈夫です。それより電話してくるなんて珍しいですね。しかもこんな時間に。…まさか、珠結に何かあったんですか」

「あったんだけど、帆高の予想しているようなこととは逆だと思うわ。病院から留守番電話が入ってたのよ、珠結が起きたって」

「本当ですか! 一時帰宅の時以来だから、2ヶ月ぶりですね。よかった…。それで珠結の調子は?」

「ちょっとぼんやりしてたけど、普通に話してたみたい。体調は異常なし、体温も平熱。食べ物は口にできなかったから、点滴を続行だそうよ」

 胸をなでおろしたのも、つかの間。覚えた違和感に帆高の声が掠れて震える。

「…過去形、なんですね?」

「取り込んでてて着信に気づけなくてね。かけ直した時には、もう。10分も持たなかったみたい」

 長い時間を代償にして、たった、それだけ。握り締める携帯がギシリときしむ。

「そう、ですか。今度いつ目覚めるかなんて…分かる訳無いですよね」

「そうね。だけど、あたしは待つわよ。何週間、何ヶ月、何年後になったって、たとえその目覚めが短い時間だとしても、間に合わなくても…今度は必ず駆けつけてみせるわ」

 悲観せずに、見つめるのは前のみ。淡々と事実を告げる声と意志はぶれない。ああ、自分も彼女のように強くなれたら。彼女と同じ年齢になった時は、少しでも近づけているだろうか。

「俺だって、同じです。一時とはいえ、戻って来たって聞けて安心しました。また今週末、会いに行きます。俺にできるのはそれぐらいしかないですけど」

「何を自虐的になってんのよ。それこそがあの子の一番の喜びで、力にもなってるんでしょうが。そんな後ろ向きなこと言って、あんたらしくもない」

「だといいんですけどね。…そうだ、まだ仕事中ですよね? 忙しいところ、わざわざ教えてくれて、ありがとうございました」

 自然な流れで切りかけた電話は、

「…帆高さ、何かあったの?」

これまた自然に、引き止められた。

「…どうして、そう思うんですか」

「いつにも増して、声が沈んでるような気がして。珠結のことを話す前から、何となくね」

 無理に聞くつもりは無い。その配慮の言葉を押し切ったのは、間違いなく聞いて欲しかった訳で。電話が来たタイミングとその相手、あまりにも都合が良すぎた。

「俺、今日バイトなんです。もちろん今は休憩中ですから、ご心配なく。それで…ごめんなさい、珠結を引き合いに出しました。その結果、かなり酷い言葉をぶつけました。小学生相手に、です。だからクビになるかもしれません。それは、いいんです。そうなるだけのことをしてしまったんですから。思うのは、ほとほと自分が嫌になったということです。珠結には学習能力が無いって笑っておきながら、そのくせ自分だって。また凝りもせず繰り返して」

「詳しくは聞かないけど、あの子のために怒ってくれたってこと? あの時みたいに」

「いえ、自分のためです。いつだって」
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