あたしが眠りにつく前に
 夕日が差し込んで朱く染まった階段を下りていく帆高の後姿を眺めつつ、珠結はふと振り返って扉を見遣った。正確には扉の向こうの屋上の風景を思い浮かべていた。

「珠結? どうした?」

 階下から帆高の声がした。遠くからは見回りの教員のものらしき、規則正しい足音も聞こえてくる。珠結はハッとして、できるだけ足音がしないように階段を駆け下りた。

 下駄箱で靴を履き換えて玄関口に出ると、周りはジャージ姿の生徒でごった返していた。後ろからは吹奏楽部などの文化部員が次々に追い抜いていく。

珠結は人の群れから離れて隅に寄り、壁にもたれ掛かる。「1、2」とカウントを始める珠結の隣は誰もいない。268秒目を唱えた時、ようやく自転車を引いた帆高の姿が現れた。

「昨日より40秒遅いね。自転車置いた場所、ど忘れした?」

 珠結は帆高に駆け寄ってニヤリと笑う。

「冗談。自転車がドミノ倒しになってて…って、何数えてんだよ。嫌味か」

「どっかの嫌味キングのそれに比べたら可愛いものでしょ。それに一人で待ちぼうけって退屈なんだもん」

「なら、珠結も来いよ」

「めんどい」

「アホか」

 かかった時間から考えて、他数台の自転車も律儀に直していた誠実さは褒めよう。その誠実の矛先を少しは自分にも向けてくれればいいものを。

 帆高はさっさと正面に向き直り、珠結も左隣りについて歩き出す。それでも珠結に合わせてか、歩くペースはゆっくりめだ。

「お、一之瀬。また明日な」

「一之瀬く~ん! バイバーイ」

 運動場を横切る最中、男女関係なくあちこちから声が投げかけられる。その度に帆高は王子のように穏やかな微笑で手を振り返す。

部活には所属していないながらも帆高は顔が広い。学年では完璧優等生と例の武勇伝で名が通っているし、2、3年生(主に女生徒)の間でもよく話題に上っているらしい。

つまり向こうは帆高の方を知っていても、こちらは知らないという一方的なパターンが多い。今なお、遠目からジリジリと自分だけを睨みつけてくる彼女達のような。

おあいにく様、帆高の瞳に比べたら針とドラキュラの息の根を止める杭の差だ。僻みや妬みで怯むぐらいなら、帆高と友人などやっていられない。

 帆高の本性を知ったら、どんな反応をすることやら。珠結が内心くつくつ笑っていると、

「はぁ~い、お二人さん。お元気~!?」

条件反射で、足を踏ん張った。
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