あたしが眠りにつく前に
 彼は聞いてはいけなかったかのように目を泳がせた。

「家や学校で浮いてたからとかの、暗い話じゃない。聞いたら笑っちまうような、ガキな考えだ」

「無性に気になる言い回しじゃないですか。教えては…くれないですよね」

「分かってるじゃないか。俺の話はここまでだ。余計なことを考える時間があるなら、頭を休めとけ。その方が、時間の使い方に有効的だ」

「意地悪ですね。人の興味を掻きたてておいて」

「そういう所も聞いてたか? そんな憎まれ口叩けるなら、まだできるか?」

 帆高がコツコツとストップウォッチをつつくと、彼は目を細めて笑う。

「じゃあ、あと30分ほど。そうだ、兄が課題を教えて欲しいから、自分が帰るまで引き止めててくれと言われました。…先生と同じ学校の生徒だとは思えません」

「いつものことだ。なら、そのタイムリミットも30分だ。1秒でも過ぎたら、帰るからな」

「兄共々、お世話になってます。頼んでおいてこんな時間まで、どこで道草食ってるんだか」

 コーヒーを飲み干したところで、鞄の中からバイブが鳴った。サイレントとバイブレータを間違えていたみたいだ。振動時間からして、着信らしい。

「悪いな」

 部屋を出て4コール目で電話に出る。表示を見ていなくても、相手が誰なのかは声で分かる。珠結の最愛の母親だ。

「元気にしてる? 家にいるもんだと思って家にかけたら、帆高は外に出てるって聞いたから携帯にかけたんだけど」

「おかげさまで。今日はどうしたんですか? いいことでも、ありました?」

「そりゃあね。珠結にね、そろそろ家に帰るよう伝えてくれる? もう暗くなってきたし、冷えてきたからね」

 声が明るいものだから、油断していた。爆弾を放り込まれた心地がする。

「珠結、目覚めたんですか?」

「え?」電話口から、息を呑む音がした。胸騒ぎが止まらない。冬だというのに、脇が冷や汗で汗ばむ。

「ちょっと待って。あの子、帆高と一緒にいるんじゃなかったの!?」

「どういうことですか? 意味がまったく。俺は珠結が起きたことも、こっちに戻って来てることも知りませんよ!?」

「今日の朝にあの子が目覚めて、あたしの顔見るなり「帰りたい」って。それで急いで許可もらって、昼前に戻って来たのよ。それで1時間ぐらい自分の部屋にこもってから、帆高のところに行くって言って。もう連絡していて、家のすぐ近くまで迎えに来てくれるんだって聞いたから、てっきり…」

「携帯は! つながりますか?」

 足音と荒い息のBGMをに、帆高は反応を待つ。出ろ、出てくれ、珠結。

「もしもし? それが、携帯は机の上に置いたままで。しかも、わざとみたいで…」
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