あたしが眠りにつく前に
『あたし、ながみね たまゆ! よろしくね』

 舌足らずの声で、幼女は無邪気さを振りまいて見下ろす。この先に何が待っているのか知るはずも無く、確かに幸せを噛み締めていた、あの頃。

「くしゅんっ!」

 ひんやりとした空気を感じ、くしゃみと同時に目が覚めた。一番最初に見たものは闇であった。これも夢かと疑うも、単に髪が視界を覆っていただけであると気付く。珠結は髪をかきあげ、顔を上げた。

 髪のベールの向こうに広がっていたのは、雲の隙間から覗く月と無数の星。星の瞬きがはっきり見えるほど空が漆黒に染まるまで起きていることも、夜中に目が覚めることも数年ぶり。珠結は懐かしい思いで空を見上げた。

「今は12月だから…あれ?」

 冬の大三角を探してみるも、見当がつかない。そもそもそれがどの方角にあったかも、うろ覚えで尚更見付かりっこない。シリウスとプロキオンと…もう一つは何だっけ? 夏のなら全て言えるのに。

 空に星。そういえば今は何時だろうか。腕時計で確認すると20:13。道理でこんなにも暗く、冷え込むはずだ。厚着をして家を出て正解だった。

家を出たのは13時頃で、ここに着いたのはその2時間後。やっと着いたと座り込んでからの記憶は全くない。今の今まで寝てしまっていたに外ならない。その間5時間、割と短く済んでくれた。

下着に湿気は感じない。来るまでにこまめに公衆トイレを梯子しておいて助かった。これまた幸運であり、女としての羞恥心を防げたのだ。

 季節が冬真っ盛りなだけあって、肌寒いどころではない。服の下では鳥肌が立ち、吐く息は白く消えていく。だが珠結は十数メートル先の建物の陰に入ろうともせず、ただ座り込んでいる。

 寝っ転がってしまいたいところだが、またうつらうつらと寝てしまいかねない。寝違えたせいか首がズキズキと痛む。首に手を当てながら、珠結はついさっきまでもたれ掛かっていた物をそっと撫でる。

膝ぐらいまでしかない‘それ’は黒ずみ、ザラザラとした表面には何十もの年輪が刻まれている。デコボコした側面には枝も新芽も何も生えていない。

――かつて幼い珠結達が登っていたクスの木――は、あの頃とは変わり果てた姿で佇んでいた。

 夢の内容は眠っている場所に影響されるものなのか。高さや空間こそ違うものの、さっきまで自分はここにいた、そう錯覚してしまう。あれは単なる夢だったのか、はたまた一時的なタイムトリップだったのか。後者は夢見すぎか。

 外灯も無いこの場所の光源は月と星の淡い光のみ。見渡す周りには遊び相手のいない淋しげな遊具達。

すっかり錆び付いてペンキが剥げかけているも、昼間ならたくさんの園児達が集まってくる。それでも遊具達は時間を問わず、自分に触れてくれる誰かが来るのを待ちわびているように見える。

 ビュウウッ

 強い風が吹きつける。周りの小柄な木々達は仕方なくの体で枝をおざなりに揺らす。静まり返ったこの場にザワザワという葉の擦れ合う音が加わった。

珠結は反射的に身をびくつかせた。もう帰ろう、さすがにバレているだろう。携帯という連絡手段は、珠結が前もって放棄してしまった。母は絶対に余計に心配して捜し回っている。そう思うも、体はいうことをきかない。
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