あたしが眠りにつく前に
「何、やって…」

 荒げた呼吸の中で、搾り出すように放たれた5文字。だがそれは決して聞き間違えるはずのない、一番願ってやまなかった声によるもの。

珠結が少し顔を上げると、白のスニーカーが暗がりにぼんやりと浮かび上がっていた。それより上は闇に溶け込んでいる。月はいまだ戻らぬも、珠結には視える。目の前に立つ彼の姿が。

「帆高…、どうして…?」

「その、服」

 珠結が羽織っているコートの白は珠結から見た帆高のスニーカーと同じく、遠目にもしっかり見えていたようだ。でもより聞きたいのは、どうして自分の姿が見えたのかということではなく。

「よく、分かったね。あたしがここにいるって」

「初めから、ここだと分かってたんじゃない。今まで、あちこち捜し回ってた。高校や中学、公園とか。で、家から懐中電灯も無くなってるって追加で聞いて。人気の無い暗い場所はって、ここを思いついて来てみれば。あー、すっげ…、はぁ」

 帆高が徐々に息を整えつつ、その場にしゃがみ込む。その疲労はいなくなった自分を捜すための懸命な努力の証。よほどの長時間・長距離を走り回っていたのだろう。

にしても帆高は疲れただの、足が痛いだのの弱音を吐こうとしない。

「ごめんね…」

「俺に謝る必要なんてないからな。謝るなら誰よりも幸世(さちよ)さんにだ。幸世さん、倒れそうなぐらいに動揺してた。家帰ったら、お説教3時間コースじゃないか?」

「…そっか。どうしよ、頭痛くなってきた。帆高は…怒ってない?」

「あーもう、何ていうか諦めてる。珠結のすることに一々腹立ててたらこっちの身が持たないって、久しぶりに再認識した」

 どういう意味だ。厄介な意地っ張りの血が疼きだす。

「帆高がいなくても、大丈夫だったもん。あらかじめ手紙に書いて…」

「さっきは助け求めてたくせに…って、馬鹿か! たかが5文字のメモ一枚で行方知れずになって、こっちは普通でいられる訳ないだろが。今、何時だと思ってんだよ!? そんな体なのにフラフラ出歩きやがって!!」

 火に油。いや元々、火など付いていなかったのだから、常温の油にわざわざ点火したと言った方が正しい。

至近距離で烈火のごとく怒鳴られ、珠結は首を竦める。ふぅと息を吐く音の後に帆高の右手が動いたのを気配で察し、珠結は目を瞑る。

 ぽす。帆高の手は珠結の肩を掴み、自身の胸に引き寄せた。

顔に当たる胸板は自分の物とは全く違う、固くて逞しい男特有の物。そこから伝わる熱と速めの鼓動は珠結に届く。

 てっきり大目玉をくらうものだと思っていた。珠結は驚き半分、戸惑い半分で目を白黒させる。ただ抵抗しようは思わなかった。いつかのデシャヴュ。あの時の君も心配して、こうしてそっと抱き寄せて。

「無事で…良かった」

 無条件に許し、受け止めてくれるのだ。やはり今回も、帆高は軽いハグ程度で珠結を引き離す。彼にとってそれはさして深い意味など無いかのように。

でも自分はどうか。名残惜しいと、離れてほしくないとも思ってしまうのはどうしてだろう、これも吊橋効果か。

 心臓の鼓動が今だうるさいのはきっと暗闇の恐怖による動揺がまだ静まっていないだけ。帆高によるものでは…ない、絶対に。そうであってくれなくては。
< 167 / 284 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop