あたしが眠りにつく前に
「は…? 珠結、何言って…」

「あたしの足、動かなくなっちゃった。だから、立てないんだ」

 帆高が俊敏にしゃがみ込み、珠結の足首に手を当てる。触れられてる感覚は伝わる。しかし、いくら脳が「動け」と命じても、麻痺したかのように微動だにできない。付いているだけの飾りとなってしまった、足。

「前兆みたいなのが起きたのは、10月始めぐらいかな。ペンのキャップを落としてベッドから下りてしゃがんでたら、急に立てなくなって。でもそれは少しの間だけだったし、横になった状態が長かったから、足がなまってただけだと思ってた。本格的におかしいと思ったのは、月末ぐらい。足を折り曲げて起き上がろうにも、肝心の足がピクリとも動かなかったの。ビックリして、叫んじゃいそうだった」

「聞いてないぞ。そんな素振りだって」

 なかった…のでもなかった。あれは、珠結が入院して5ヶ月ぶりに登校した体育祭の日。会が始まってから1時間の時点で、珠結はほとんど椅子に座ったまま過ごしていた。

久々の学校かつ騒がしいイベント時、流れる汗が目に染みるぐらいの炎天下、滅多に会えなかった友人達との語らいと戯れ。それらの条件が重なって、早くに疲れが回ったのだと気に留めていなかった。

 神社に行った時だって、歩調が少しだけ遅かった。何も無いところでつまずきかけることもあった。告白されてから、そういえばと思い当たって迂闊さを呪うだなんて。帆高は口を引き結ぶ。

「帆高だけじゃない。お母さんにも先生にも、看護師さんにも誰にも言ってない」

「どうして言わなかったんだよ! 深刻なものだったらどうするんだ!!」

「先月、眠ってる間に定期検査を受けたの。脳にも心臓にも血液も相変わらず、どこにも異常は無かったんだって。ということは、他の何かの病気を併発したんじゃない。これも眠り病の症状の一つだってことでしょ。それなら、治療も完治も期待できない。言っても、無駄に心配させるだけだよ」

 誰にも、どうすることもできない。だから、せめて知られたくない。いずれバレるとしても、ギリギリまで引き伸ばす。早い遅いも、直結しない。辿る終末は1つなのだから。

知られていたら、今日の計画の実行どころか帰宅許可さえもらえなかったかもしれない。

「そんなことより、あたし大冒険してたんだよ。発作はもちろん、いつ足が棒切れになっちゃうかヒヤヒヤもの。ここに来るまで、何回か危なかったんだよ。うっかり溝にはまりかけたり、物陰にうずくまってウトウトしたり。人気のないルートを調べといて通ってたから、人に見つかって中断はされなかった。でもゴールに間近で足が重くなって、タクシー呼んじゃったのは残念だったな。運転手さん、『幼稚園前の坂のところで降ろしてください』って言ったら、驚いてた。今日は土曜日だか…」

「もういい!!」

 珠結の足から離れた帆高の手は、地面の土を深く抉る。珠結はその上に自分の手を重ねる。

「あたしが自分でできることは無くなっていく。少しでも動けるうちに試してみたかった。たとえ目も当てられないような結果になったとしても、悔やみながら眠りにつくのだけは嫌だったから」
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