あたしが眠りにつく前に
 道は通りやすく整備され、土の凸凹はほとんどなかった。おかげで車輪を取られることもなく、心地よく移動することができた。帆高のサポートの上手さも、忘れてはならない。

「あの木、桜だよね」

 長居はせず、軽く立ち寄るだけだった子供広場。遊具で遊んだり芝生を駆け回ったりする子供達と保護者から離れて立つ、一本の木。近寄ってみれば、薄桃色の蕾をつけている。

「よく、見えたな。相変わらず、目が良い」

「そんなに目を使ってないからね。大きくてピンクの蕾ついてるから、そうかなって。でも2月だったら、梅とごっちゃにしてたかも」

「こっちはまだ咲いてないんだな。でも膨らんでるし、そろそろだろうな」

 木には『ヤマザクラ』の札がかけられ、『中に入らないでください』の立て札が地面に刺さっている。木を囲う柵の外側から見上げ、帆高が呟いた。

「向こうはもう咲いてるんだ?」

「俺の家の近くの山の木は一昨日ぐらいからな。例年より早めらしい。あっという間に一色に染まるだろうさ」

 1本だけでも、絵になる美しさなのに。高校の校庭の片隅の桜を思い出す。きっと、今年も鮮やかに咲き乱れてくれるだろう。

「桜といえば…。俺のバイト先の中学生が、志望校受かったんだよ」

「わぁ! おめでとう!! あのS校志望の子だよね? すごいなぁ。彼の努力もあるけど、帆高の教え方も良かったからでしょ」

「俺はあくまでフォローしただけだ。あいつは元から吸収力があったし、まじめな態度で受かるだけの力をつけた。全部、あいつの努力の成果だよ」

 それはそれは嬉しそうに、帆高は笑みを含む。

「本人だけじゃなくて、ご家族の人も大喜びだろうね。うちのお母さんだったら、ホールケーキ買ってきて、お赤飯炊いてくれるかも」

「あー、まあな。サクラサクに一家総出でお祝いムードだったそうだ。それはいいんだが、一番喜んだのは本人じゃなくて、そいつの兄貴で…」

「雲行きが怪しそうな言い方するね。そのお兄さんが、何かしでかした?」

「そーいうこと。合格を知るなり、そいつの彼女や友達、後輩に電話しまくって自慢したらしい。それでこっぴどくしめられて、電話でぼやいてきた。後で弟の方からも、ぼやかれたんだけどな」

「さすが、塚本君だね。期待を裏切らない」

 知ってたのか。帆高は愕然と目を戦慄かせる。相手は友人の弟だとしか言っていなかったが、実は知っていた。会った時にバイト先での話を聞いていたから、その話しぶりを聞いて想像はつく。

彼自身の人柄もあるが、親友の弟という関係性の入れ込みもあって。君は心底、楽しそうに話していた。

「隠さなくても良かったのに。あたしが気にすると思ったんでしょ。馬鹿だなぁ」

 お返しだ。珠結は舌を出して、桜に背を向けて漕ぎ出す。フラフラと覚束ないのを、帆高はすぐにハンドルを握って支える。

「弟さん、合格おめでとう。塚本君に伝えといてくれる?」

「…分かった」

 帆高が気を回す必要は、一切ない。今度こそ、神にも仏にも誓って。彼はどうやら根っからのブラコンなるものらしい。

『さすが俺の弟だろ?』胸を逸らす彼が想像できるだけに、居合わせられないのが惜しくてならない。
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