あたしが眠りにつく前に
「……車椅子?」

 少女の声に驚きが混じる。やっぱり、彼女の位置からは見えていなかったようだ。

「そう。厄介な病気にかかっててね、足が動かないんだ。だから嫌がるあなたを無理矢理どうにかすることはできないし、いざとなったら簡単に逃げられる。こんな凸凹道で、全速力で走るあなたに追いつけっこないだろうからね」

 少女がそろそろと手を伸ばしてパイプに触れ、すぐに引っ込めた。彼女の警戒心がほんの少し緩むのを、空気で感じる。そして珠結の顔を窺うように、少女が頭をもたげた。

「子供じゃ、ないんだ」

 珠結に彼女の目は見えないが、彼女からは見えているらしい。ぼんやり見えた背の低いシルエットが、彼女に子供だと錯覚させたのだろう。

「信じてくれたみたいかな。ねえ、ここ薄暗くて怖くない? もっと明るいところに行こうよ。こんな何もいない沼よりも、向こうの広場にある池には鯉とかメダカとかアヒルもいるよ?」

 同じだもん。少女の声はどこか拒絶を含んでいた。

「わたしには、どこも同じ。どうせ見えないから」

「…目が悪いの? あなたも、あの病院の患者さん?」

 少女が前髪の上から両目を押さえた。イヤイヤをするように、首を左右に振る。珠結はそっと、少女の頭に手を添える。

「ごめんね、あたし不躾だったね。色々と聞きだそうと思ったわけじゃないの。ただ親近感、かな。あなたも同じように闘ってる人なんだと思ったら、つい。もう言わないから」

 ポンポンとあやすように撫でる。自分が不安でグラグラ揺れていた時、彼はこうしてくれていた。それで自分は、ひどく安心できたのだった。

続けていると、少女の目元を押さえつける手が緩んだ。珠結はそっと外し、彼女の膝に置いてやる。触れた手は、湿っていた。

「…嫌なことを聞いちゃったお詫びに、あたしのことを話すね。あたしは病気なんだけど、何の病気なのか分からないの。医学書にも載ってなくて、お医者さんもお手上げなんだって。症状は…色々複雑なんだけど、一日が数分または数時間しか無い、酷い時は1秒も無いって病気なんだ」

 少女はいつしか顔を上げて、10°ほど首を傾けていた。意味が分からない。だろうね、自分だって同じ説明をされたら1%も理解できない自信がある。

ともあれ、彼女の悲しい気持ちが逸れてくれたようで一安心する。

「どうでもいい話、しちゃったね。あ、深く考えなくていいからね?」

「…ごめんなさい」

 蚊の鳴くような声で、少女が呟いた。その小ささは彼女の口から出たものか、一瞬気づかないぐらいだった。

「おねえさんの病気、よく分かんなかったけど。でも、おねえさんは大変なんだってことは分かった。自分が嫌なことを人にもさせちゃダメって、言われてたのに」

 良い子だな。これも親御さんの躾の成果であって、知らない大人と子供の忠告も大事な子供を守るための親心であって。

ボソボソと必死に言葉を繋ぐ彼女は素直で健気で。珠結は再度、小さな頭に手を置いた。
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