あたしが眠りにつく前に
「公園には、一人で来たの?」

 少女はコクリと頷いた。聞けば母親と来院して会計を待っている最中に一人抜け出して来たという。

受付は人でごった返し、番号は当分呼ばれない。そして同じく会計待ちのご近所さんと居合わせて、自分抜きで世間話が始まった。

無理もない退屈感が、動機だった。

 番号を呼ばれて「さあ、行くわよ」となった時点で、やっと母親は血相を変えて彼女を探し回ることだろう。

「お母さん、絶対あなたのこと必死に探すよ。大騒ぎになって、お巡りさんも出てきちゃったら、すっごく怒られちゃうよ!」

「戻ろう」「イヤ」の押し問答を繰り返すこと数往復。少女は最後まで渋っていたが、観念したのかすっくと立ち上がった。ベンチ近くの大きな石に飛び乗り、2つ3つと飛び移ってから乾いた地面に着地した。

「何にも見えなくなったんじゃないよ。ぼんやりしてるけど近づけば少しははっきりと見えるし、明るいか暗いかも分かる。でも、いつか全部見えなくなっちゃうんだって」

 ふと少女が目元を擦った。僅かに掻き分けられた髪の下から、彼女の重荷が垣間見えた。少女の左目には眼帯、右目は薄く白く濁っていた。

「…わたしの目、見えた?」

「うん」

「クラスの男の子には、キモイって言われた。先生のいない時に悪口言われたり笑われたり、菌が移るって避けられたりもした。…ミユちゃんもトモちゃんも、話しかけてこなくなった」

「かわいそうだね」

 少女が唇を噛み締めて、拳を握り締めた。

「その子達、かわいそうね。自分と違う所がある人を認められないで、自分で自分の価値を下げちゃって。世界は自分を中心に回ってるわけじゃないのにね」

「…おねえさんは、違うんだね」

「違うって?」

「親戚と近所のおばちゃんは私に会うといつも『かわいそうね』って言うの。学校の先生は皆に『目が悪くなっちゃってかわいそうだから、困ってたら助けてあげましょう』って。すごく悲しくなった。わたしはかわいそうな子なんだって」

「皆が普通に見ているものを、同じように見られないのは残念だとは思うよ。でもそれだけで、あなたがかわいそうな子だって言うのは違うと思うなあ。ねえ、あなたは何が好き?」

 好きな食べ物、動物、場所、色。逆に苦手なものは。珠結は少女に質問し、少女はたどたどしく答える。しかし徐々にどんなところが好きか嫌いかを交えて、答えの長さを増やしていった。

「好きことは、ピアノをひくこと! 4歳から始めたの。一週間に2回おけいこに行って、簡単な曲なら楽譜も鍵盤も見ないで弾けるんだよ。だから今もお家で練習してるの」

 初めて少女が笑った。声も今までで一番明るく弾んでいる。輝いているだろう目が見られないのが惜しい。

「ほら、あなたとてもいい顔してるよ。かわいそうな子は、そんな顔できない。あなたは、かわいそうな子なんかじゃないよ」

「…ホントに?」

「そうだよ。それとね、パパとママは好き?」

「うん!! パパもママも、おにいちゃんもおじいちゃんもおばあちゃんも大好きだよ。みんながいる家も大好き!! …でもね、来週から入院するから離れ離れになっちゃうの。手術に備えるんだって」

 いやだよ。怖いよ。少女が深く俯いた。
< 192 / 284 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop