あたしが眠りにつく前に
 大丈夫。そう笑いかけた珠結の顔が、突如ピシリと固まった。さんざ語っておいて、相手が小学生――しかも現時点で低学年――だったことを思い出す。人生を分かりきったような弁論を、長ったらしくくどくどと。

お前はいつから、少女の痛切な気持ちを汲み取れるできた人間になったのだ。アドバイザー気取りで何様か。ひとまずブラジルまで穴を掘ってもイイデスカ。

「ご、ごめんね! あたしったら、何訳わかんないこと言っちゃって」

 ううん。少女は首を振り、ズボンのポケットから水色のピンを取り出して前髪を横に流して留めた。

「ありがとう。おねえさん、学校の先生みたいだね。全部分かっちゃって、すごい」

「いや、そんなんじゃ…。髪留め、持ってたんだね」

「見られたくなくて隠してたんだけど、もういいや。皆に嫌われるような、悪いことをしてるわけじゃないもん。それにね、時々髪が目に入って痛かったの。ママにも先生にもダメって言われてたんだけどね」

「そっか、その方が絶対いいよ。強いなあ」

「強いのは、おねえさんでしょ。わたしも、おねえさんみたいになれるかな」

「それは…お勧めしないかな。人の気持ちを勝手に想像して分かった様な気になって思い込むの、悪い癖なの。ついポロッと出ちゃって、友達にいつも怒られるんだ。だから、真似はしちゃダメだよ」

「そのお友達って、どんな人?」

「小さい頃からの幼馴染。勉強も運動も何でもできて、意地悪なとこもあるけど本当は誰よりも優しくて頼りになる人。とても強い目をしていて、生真面目で真っ直ぐで」

 本当は強いふりが得意なだけで、寂しがり屋で。脆くて、弱い人。そんな君が、かけがえの無くて特別で。

「ね、男の人でしょ?」

「んん? どうして分かったの?」

「おねえさんね、マンガに出てくる主人公の女の子と同じ顔してた。好きな人のこと話す時のと!」

 悲鳴を上げ、珠結は両頬を押さえた。そんなにやけた顔をしているのか。自分の読んだことのある漫画の主人公を思い返して当てはめ、顔から火が出る。

女子であるからに、かつては持っている少女漫画を友達と貸し借りをして読みふけり、甘酸っぱい恋というものを教わった。

 時には赤面し、時には切なさを知り、様々な恋の話に胸を膨らませた時代もあった。しかして、こんなドラマ的な恋など道端に落ちてはいないと現実を知る。ましてや、自分の身に。漫画の中の劇的なものだけでなく、一般的な恋ですら自分には無縁だと悟った。

熱が冷めて漫画を卒業したのは中学初期だった。恋? ありえないね。我ながら残念な子だと思う。だから生まれて17年間も、彼氏なるものも告白さえも無縁なのだ。

「たぶんその人も、おねえさんのこと好きだと思うな。好きって言わないの?」

 今時の子供はマセている。テレビの中で小さい子を抱える母親が、苦笑していたのを見たことがある。珠結も今、一瞬の顔と声しか知らない彼女に賛同した。

 少し前まではオドオドとしていたのに、今は水を得た魚のように生き生きしている。女の子は、恋バナがお好き。年齢なんて関係ない。

十代も半ばを超えた珠結よりも、一桁の年齢の彼女の方が女子力は高いだろう。珠結は心なしか惨めになってきた。
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